サイクルボランティア・ジャパン

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「2010桃と桜の岡山ラン(’10/4/4)」レポート

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スティーブ撮影

4月4日の「岡山路その2」は、桃を見て、桜をみて、オプションで有森裕子記念館:アニモへ訪問、でした。

昨年は雨のなかを無理やり強行しました(せっかくの準備がパーになるのは偲びがたいのです)。結果、個人的にはたいしたことないのですが、年齢的に雨に当ると厳しい方々に囲まれてのランなので少々反省はしています。

さて、今年は・・・・

前日、竹沢代表・金木さん・友田さん・大島さんの4名が「小豆島ラン」の下見に行かれ、その足で岡山へ。他のメンバーは直接岡山へ。
ランの前日にホテルに泊まり夕食会が開かれました。夕食会は、お酒をたしなまない竹沢代表がおられるので、比較的穏やかに終わりました。


スティーブ撮影

さて、2次会です。金木さん、私に酒を飲ませればうるさいだけのただの酒飲み親父に豹変します、。ところがスティーブ・大島さんなどはマイペース(大島さんすいません、カメラ壊しちゃいました)。一騒ぎしてくたくたになり、ホテルへ。

気が付けば朝です。
金木さんは、既に早くホテルに来られ、お接待の準備万端であります。
(スイマセン 私西川は、今回あまりにも準備不足を痛感しております)
次々に来られる方を迎え、とある場所へ・・・

その場所は、戦前に建てられた、とある邸宅の駐車場でした。
金木さんが我々の為に、わざわざこの由緒有りそうな場所をキープしてくれていました。
さて、そこからランのスタートです。

昨年同様、金木さんの元部下のサポートをしっかり受けて走り始めました(金木さんは、元ファイヤーマン・消防士さんであります)。
サイクルサポート者は3名、車サポート1名、そしてCVJ7名、一般参加は2名です。

こじんまりしたグループなので比較的スムーズな走り出しで川沿いを走り、百間川の説明を受けます。

(旭川の氾濫から岡山城下を守る為、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命により築造された。旭川の東側を大きく迂回させ、干拓地の間を通って児島湾に至っている事や、「百間川」の名の由来は、堤防を含め百間(約180m)あったことによる。 )
現地で受ける説明は実に気持ちの良いもので、エラク感心し足を進める。

話を聞きながら、足を進め
道中、水路沿いに石の柱が斜め横に2本突き出ています。
これは、水車を留めるためのものです。田植えのシーズンなどではこの水車が一面にならぶようです。

(くだんのの百閒川のこともあり、ここは水位が根本的に低く岡山は江戸期から岡山は水難の繰り返しで又、水の恵みにも沢山満ちたところである)

続いて、アニモ:有森裕子さんの博物館へ
(金木さんが「有森裕子博物館へ、みなさん行きますか?」返事があいまいと見た西川がすかさず「行きましょう」)。時間的に早く行ったにもかかわらず、急遽笑顔で迎えてくださり、コーヒーまで出していただきました。(有森お母さんご馳走様でした)
「私ね、烏に焼酎を飲ませたような声しているでしょう」と謙遜されますが、一応西川は、「お母さん、今度烏に焼酎飲ませて調べてみるわ!」と軽くご挨拶。
ここでは書けない実に面白いお母さんでした。

急ぎ足で、少し古い中原橋を越えて玉柏駅へ。今は鉄ちゃんブームですので、岡山サポートの方はわざわざ立ち寄り、
時刻表を見ると、あと4分で電車が来ます(GOODタイミング!)。

ローカルな駅はなんとも言えません、駅前の店はたたんでやっていませんので自動販売機をおいていましたが、売れないのでソレも撤去、また販売機の雨よけテントも破れ、ローカル駅前最高!!気分です

電車が来る方向を間違えて、私まともな写真がありません(誰か下さい)。

さて、次に足を運びましょう。いたるところで桜が満開です。岡山城は人人人なのですが少し離れると、岡山は最高です。わんさか、人がいない。


スティーブ撮影

桜並木の人も離れ離れ、プライバシーが十分に守れる距離が保て、若い二人連れにとっては最高の場所でしょう。
そんな、事はどうでもいいんですが…。それなりの人が、良いです(最高と言っておきましょう)。あるところでは、犬の散歩中に道の真ん中で飼い主が寝ていても問題ないのです(どんなお方か存じませんでした)。
大島さんに、「この自転車の団体はなあに?」「ウォーキングも山歩きも飽きた、次は自転車!!」活発おばさんが登場です。「私今度一緒に走れる?」などと矢継ぎ早に。
金木さんがCVJ名刺を渡しました。来年、金木さんのエスコートで参加されるのを期待しましょう。(おしゃべりおばさんでした)

牟佐大塚古墳、備前国分寺跡、両宮山古墳をサっとみて。

さて、数々の桜並木の後は桃畑です。元来同時期に花開くのですが、今回桃には季節が少し早いそうで三分、四分咲きかな?それでも綺麗なのですが…。
この後、赤色が強くなり、いわゆる桃色の花びらが桃畑一面に咲き乱れるのでしょう。

スティーブ撮影

岡山の、農家の方は大変親切で桃の花の写真を撮っていると、「もっと近づいて撮りなさい、かまわんから」いちいち声をかけてくださり、岡山における我々の印象が変わってゆくのでした。(現在、岡山の印象は金木さんがすべてをになっているのですよ。。。)

さて桃畑の中で、神妙な顔つきで金木さんが落ち着いた趣で喋りだします。
今で言う池田厚子様(今上天皇の姉に当る)を見舞いに昭和天皇・皇后両陛下が岡山の桃畑で会う場所を作られた話です。
金木さんは「碑は少し離れた所にありますが、実際(陛下は)この場所で、お会いになられました」
話に強弱をつけ、なかなかの話振りです。ジーンと来ました。

あのオッサンただの酒飲みオヤジと思いきや、皇族にも明るい桃農家の酒飲み火消しオヤジでありました。

桃畑の道中、小さなお地蔵さんがありまして、見ていますと、この気持ちの良い天気のなかで満開の桜を下にいるだけで、お地蔵様はニコニコされているみたいでした。

この後、お昼ご飯は山陽ふれあい公園(人があふれていない、実に好い!)
金木さんが、色々準備していたのかが分かります。岡山の海の幸がふんだんに入った散らし寿司(岡山名産「まつり寿司」)。岡山名産の黄ニラをふんだんに取り込んだお味噌汁。

ソレと、パン、果物 もう勘弁してくださいと言うまでのお接待振りに、ただただ脱帽です。

2時間近くをつぶして帰路につきます。

天気がいいので、気にもなりません。道中、山陽道取替えの分岐点に立ち寄りました。
(江戸末期、長州藩と幕府の間でろくでもない浪人が岡山城下をうろうろされるのを防止するために作られた)

そんなこんなで、いつの間にやら岡山市内です。
今回は3時近くで終わりましたが、個人的には満足ですね。

皆さん如何でしたでしょうか?

文責 西川

2010年4 月17日(土) カテゴリー: イベント報告

ヤッタ~! キリマンジャロ登頂

アフリカ最高峰 ウフル・ピーク(5895m)に立つ!!

2010/4/9 大島政廣


<キリマンジャロをバックに.>

※  は じ め に ※ 
若い頃は自転車の旅で、日本全県走破をはじめ、ヨーロッパ横断(ハンガリー~フランス)、アメリカ大陸横断、オーストラリア3回、ニュージーランド、台湾3回、韓国2回、東南アジア、ハワイなどを走り回りました。
 そして、三女が生まれて(1990年)からは、心に期するところがあってマラソンへのチャレンジをはじめ、ハーフはもとより22回のフルマラソンを体験し、海外でもフルは、ロンドン、アテネ、ゴールドコースト、ポートランド、ホノルル(6回)、ハーフでは、グアム、韓国・慶州、NZ(2回)などでマラソン(いずれもマラソンツアーに参加することなく個人でエントリーし、現地参加をする)を経験してきました。
 しかし、数年前2年ほどの間に相次いで左右両膝の半月板をバレーボールとソフトボールで痛め、それぞれ入院・手術を余儀なくされ、速く走ることがむずかしくなったことから、自分のチャレンジをゆっくりででもできる「山登り」に変え、この間、アジアを中心に各国の最高峰を目指してきました。
「登山」に関しては、学校教員時代、山の好きな同僚などと共に夏の「槍・穂高縦走」「剣岳」「常念・蝶ケ岳」や7~8年前に富士山に登ったことがある程度の素人同然でしたが、まず東アジア最高峰「玉山」(台湾・3952m)からチャレンジをはじめ、韓国最高峰「ハンラ山」(1950m)、次には東南アジア最高峰「キナバル山」(ボルネオ島マレーシア・4095m)、


<キナバル山頂にて>

さらに昨年3月には韓国第2の山「智異山」(1915m)と次々仕事の休み(マラソン同様、ツアーでなく、すべて個人旅行)を利用して登頂を果たしてきました。


<智異山山頂にて>

 そして、昨年9月還暦を迎えたのを期に「還暦アニバーサリーチャレンジ」として、今回のアフリカ最高峰キリマンジャロ(5895m)登頂に目標を定め、昨年8月には富士山中で2泊して頂上のお鉢(山頂を一周する)巡りをするなど、高所への対応準備をしてきました。


<富士山山頂にて>

 また、日常生活においてもゆっくりペースですが、毎日10km走ることを目標に体力づくりを心がけ、昨年は年間で3516kmの走行距離を記録しました。

※キリマンジャロへの道※
2010年2月3日 目的地のキリマンジャロは、東アフリカ赤道すぐ南に位置するタンザニアという国にあります。この地域は、「黄熱病」や「マラリア」が未だに存在するということで、入国にあたって強制ではなかったものの日本出国前に「黄熱病の予防接種」を検疫所で済ませ、マラリアに関しては出国1週間前から「予防薬」(週1回の割合で服用)を服むなどして旅に備えました。
そして、登山に一番便利なキリマンジャロ空港に行くためには、ヨーロッパから唯一直行便をもっているKLMオランダ航空が便利ということで、関空からKLM航空で、まずオランダの首都アムステルダムに行ったのですが、時差(8時間マイナス)の関係で到着が夕方になるため、どうしても1泊しなければなりませんでした。
 空港ですべての荷物を受け取った後、市内までは、電車で移動し、市の中心部にほど近いインターネットで予約した1泊朝食付の安宿に泊まり、近くの小さなスーパーで「アムステルビール」を買い込み、日本から持参のピーナツとおかしをあてに部屋でくつろぎ、翌日のアフリカ行きに備えました。


<お菓子とビールで>

 2日目は、宿の食堂が朝8時からということで、朝食をランチボックスにしてもらい7時半に受け取り、部屋で食べた後、8時にチェックアウトし、再び電車に乗って、アムステルダム・スキポール空港に移動(約15kmで車中20分の旅)し、午前11時05分発のKLM571便でキリマンジャロ空港に向かいました。
 オランダとは時差が2時間あるため、8時間のフライトで21時30分目的地のキリマンジャロ空港に到着。空港では、検疫書類や入国審査などで時間をとられ、機内に預けていた荷物を受け取ったのは夜の10時過ぎになっていました。

※キリマンジャロ1日目※ (2月4日)
空港からは、自分でアレンジする気まま一人旅の始まりです。
空港からキリマンジャロ登山基地の町Moshi(モシ)までは、40km余り。安い路線バスに
乗るには2km以上離れた幹線道路まで歩かないといけないのと夜が遅いこと、登山のための荷物が多くあるということで、仕方なくタクシーを利用。
 空港内に張り紙があって協定料金50USドルとあり、値切ることをあきらめ、モシの町へ。
 モシでは、事前にガイドブックを見て、ここと思う宿の前で下車。幸いシングルで1泊朝食付き12USドル(約1000円)の部屋が空いており、夜11時前のチェックイン。
オランダ同様、シャワー・トイレは共用の宿で、2日間かけてやってきたアフリカの第一夜を、十分お湯の出ないシャワーを浴びた後、マラリヤの蚊を予防するためにベッドの上に蚊帳が吊ってあるのですが、それを降ろして日付けが変わる頃就寝。

※キリマンジャロ2日目※ (2月5日)
 早朝5時には、町にあるモスクのマイクから流されるコーランの音と鶏と犬の鳴き声で、目が覚めました。
部屋が東に面していたため、日の光が部屋に入ってきたので、6時過ぎには部屋から町に出て、日の出の撮影ポイントを探して、記念写真をパチリ。


<アフリカ初日の夜明け>

7時に3階の食堂に行き、食パン、ジャム、ホットミルクなどで朝食をすませ、部屋で休憩をした後、明日から予定しているキリマンジャロ登山のためのガイドとポーター探し、モシ市内観光、市場の散策などで1日を過ごしました。
まず、キリマンジャロ登山を取り扱ういくつかの旅行社を回り、登山や登山後に予定している「サファリツアー」の料金などを聞きながら、昼前には旅行社を決め、夕方5時、登山の打ち合わせや装備チェックのため、宿の部屋にガイドに来てもらうことになりました。
日本からの「登山ツアー」の場合、登頂確率を上げるため、高度順応の必要性から途中の山小屋で連泊(合計5泊)するプランが多いようですが、お金の節約と休暇日程の関係でタンザニア政府が決めている最短の4泊5日の日程で登ることにし、860 USドル(内522ドルは公園入山料、山小屋使用料などで、残りの338ドルが専属ガイド・ポーター・クッカー・モシ市内から登山ゲートまでの往復送迎・旅行社の手数料)の支払いでした。
夕方、登山ガイドに、日本からの登山装備のチェックをしてもらったのですが、パーフェクトとのことで一安心し、明日8時半ホテル前出発で登山に臨むことが決まりました。
また、登山前に食べ慣れないアフリカ料理でお腹の調子を悪くしてはいけないと昼は比較的大きなホテルでBBQサンドイッチと水(合計約350円)、夜は町中で中華料理のメニューがあるレストランに行き、焼飯、水、チョコシェイク(合計約300円)を食べるなど食事にも気を配り、明日からの登山に備えました。
        
 ※キリマンジャロ登山概要※ 


<キリマンジャロ登頂コース>

アフリカ最高峰キリマンジャロ山(5895m)は、とても大きな独立峰で頂上に至るルートは、いくつもあります。
今回、最もポピュラーといわれているマラングルートを選択しましたが、大まかな行程は登山口である標高1800mの「マラングゲート」まで、車でモシから約40km移動し、ここで入山手続きを行い、頂上まで片道48kmにわたって延々と続くコースを登り、標高約1000mごとに設けられている山小屋「マンダラハット」(2727m)、「ホロンボハット」(3720m)、「キボハット」(4703m)の3カ所の山小屋で宿泊しながら、山頂を目指すという行程です。
但し「4泊5日」の行程を選択したため3泊目の「キボハット」は、朝まで寝るのではなく、夜中の11時に起き、深夜12時に出発し、山頂には早朝に着き、登頂後、同じルートをこの「キボハット」まで戻り、ここで昼食後、さらに一つ下の山小屋「ホロンボハット」まで下って宿泊するという高度順応のための余分な宿泊もない強行プランとなっています。
そして、5日目は「ホロンボハット」を出発し、一つ下の山小屋「マンダラハット」を素通りし、登山口の「マラングゲート」まで戻ってくるというのが大まかな行程です。

※登山第一日目※(キリマンジャロ3日目)(2月6日)
――― 片道48キロ、往復100キロにも及ぶ、登山の開始 ―――
朝は6時半に起床して、宿でトースト、ジャム、すいか、ミルクなどの朝食をとり、シャワーを浴び登山装備の最終チェックと宿に預ける荷物の整理をし、出発時間まで過ごす。
8時半ちょうど送迎の車が来て一安心(お金は払ってあるものの一抹の不安はありました)。ガイドのソベリンさん・ポーターのドゥラさんとドライバーの4人でモシの町から40キロほど離れたキリマンジャロ登山口「マラングゲート」(標高1800m)に向かったのですが、途中、食料の調達など何カ所か立ち寄り1時間ほどかかって到着。
 この「マラングゲート」には登山者の登録・途中の山小屋の手配・公園管理などの業務を行なうための「公園事務所」があります。


<公園事務所>

 西洋人のグループ、韓国人のグループ(日帰りトレッキング)など団体優先のためか書類記入まで30分ほど待たされ、両腕にストックを持ち登山を開始したのはお昼前の11時20分になっていました。

――― 不安・緊張、そしてプレッシャー ―――
 警官のような制服姿の警備員に登山ゲート入口で書類を見せ、ガイドと共に(ポーターは別のルート)樹林帯の中を進みましたが、昨年8月にアフリカまでの航空券を手配してから約半年にも及ぶ準備、出国してからオランダでの宿泊や日本と6時間の時差による疲れ、一昨日キリマンジャロ空港到着してからの宿探し、登山ガイド探しの気苦労など一人旅でここまできた緊張の連続、そして何よりも大きかったのは50km先にそびえる山頂まで果たして歩き通せるかといったことがものすごいプレッシャーとしてのしかかり、精神面の疲労はピーク状態でした。
 足は、普段から鍛えているため全く問題なく先に進んで行くのですが、この精神面のプレッシャーが体調にも影響を与え、途中ランチボックスに入った昼食をとったのですが、小さなバナナ1本とバーガーをひとかじりしただけで後は体が全く受けつけずパス。
 その後も足は進むものの飲み物も受けつけなくなり、口にすれば即オェ~いった状態で何度も戻しながらの行程となりました。
 この登山1日目のコースでは、高い樹上に野生のサルやシッポの大きいホワイトアンドブラックカラバス、地面にはカメレオンが這ってるのを見たりしながら、1000mほど登った樹林帯がちょうど終わる標高2727mのマンダラハット(山小屋)に午後4時前に到着。
 夕食の準備をポーターがしてくれたものの体の方が全く食料・水分を受けつけないため、休養を優先することにし、マットの上に持参した寝袋を敷き、その中に潜り込んでモンモンとした状態で一晩を過ごしました。(帰路、ガイドのセベリンさんから聞いた話ですが、こうした体調のため、この時点でレスキューを呼ぶことも考えておられたそうです)

※登山第二日目※ (キリマンジャロ4日目)(2月7日)
   ――― このチャレンジが達成できたら、自分の人生が変わる―――
7時半起床。洗面・ヒゲソリはしたものの、朝食は水分・食料を受けつけずパス。そのため、ギリギリまで休養にあて8時40分スタート。


<マンダラハット出発>

食事はとってなかったものの歩く方は全く問題なく、高度をクリアしていきました。
こうして歩を進めるうちに、アフリカの地まで無事にやって来られたことや山登りにチャレンジできる健康への感謝。また、周りの景色を見ながら、休暇とお金を使いここまで来てるんだから次々と現われるすてきな景色を楽しまなくては損といった思い。さらに「歩けなくなった時には這ってでも山頂までたどり着いてやるんだ」という出発前の強い決意などがだんだんと自分の中に頭をもたげてきました。
すると、今自分がチャレンジし、歩いている姿を客観的に見つめられるようになり、気持ちがとても落ち着いてきました。
こうした気持ちの切り替えが、それまでの精神面でのプレッシャーや緊張感を押し返し・打ち破っていったようで、昼食前の休憩時に三角形のパックに入った「パイナップルジュース」を口にした時、それがとてもおいしく、それまで体が全く受けつけなかった水分でしたが、ウソのように体に染み入り、1パックを2回に分け、一気に飲みきることができました。
それまでの行程で歩きながら常に頭にあったのは、この苦しいチャレンジをもし達成し終えたら、これほどの困難は早々あるものでなく、将来多少の苦しいことに遭遇してもへっちゃらという気分で乗り切っていけるだろうし、何より自分自身の人生そのものが変わるだろうなといった思いを感じながらの一歩一歩でした。
このジュースを戻すことなくおいしく飲みきれたことは、体調回復のきっかけとなったようで、一皮むけたように自分自身の中でもじょじょに調子が良くなっていくのを感じられるようになりました。
登山1日目には、道中出会ういろいろな動物や植物をガイドのソベリンさんから教えてもらっても頭に入らなかったのが、花の名前を覚えたり、周りに目を向け歩くことが楽しめるようになったり、声にはださなかったもののこれまでの人生で覚えた歌の数々を次々と口ずさんだりするなど、気分的な余裕も出るようになってきました。


<休憩時、高山植物と>

 この日の行程は30分歩いて小休止(昨日は1時間ごと)をとるといったペースで進み、この日もやはり標高1000mほどを登り、富士山山頂とほぼ同じ3720m地点にあるホロンボハットまでは6時間弱歩き14時30分に到着しました。
この近辺には、巨大なサボテンといったイメージの「ロベリア」という植物が多く自生し、ソベリンさんの勧めでロベリアと共にホロンボハットをバックにスナップ写真を撮っていただき、この日のゴールとなりました。


<高山植物「ロベリア」の群生>


<ホロンボハットをバックに>

そして、夕食時にはこの日初めての固形物であるクッキーやピーナツをはじめ、スープ、コップ2杯のお湯、ジュース2杯など水分・食事共に通常に摂れるようになり、食事時いっしょになったイランの登山グループとも親しく交流のひとときを持ったり、昨日書けなかった日誌を2日分書くなど、2日目ゴールのホロンボハットにしてやっと登山生活にドップリとつかるような体調になったという実感をもつことができました。

※ 登山第三日目 ※(キリマンジャロ5日目)(2月8日)
――― 体調回復、登山を楽しみ、自分の過去と向き合うひととき ―――

 ホロンボハットは1つの小屋が定員4人で、他のメンバー(オーストリア人グループ)の起床が6時半だったため、いっしょに目が覚めてしまう。
朝食は、日本から持参した「あさげ」と「ポーリッシュスープ」、食パン2枚、玉子焼きなどしっかり口に運び、完全復調で3日目の朝を迎えることができました。
富士山頂とほぼ同じ標高のため、雲は完全に下にあるのですが、雲間の日の出を楽しんで8時40分出発。ガイドのソブリンさんからは「多くの人が高所のためここで頭痛訴えるのだが、だいじょうぶか」と何度も問いかけられるが全くその兆候はなく3日目の登山開始。


<ホロンボハット出発>

この日の行程は6~7時間とのことでしたが、昼食時の長い(15分)休憩を除き、昨日同様ほぼ30分歩き5分休憩というペースで高度を上げて行きました。
 行程は長いものの、途中山頂がゴツゴツした標高5151mのマウェンジ山のすばらしい景色を楽しんだり、昼食の骨付きチキンにかぶりついたり、この意義深いチャレンジに自然と笑顔がこぼれたりするくらいの余裕で足が進みました。
 また、還暦記念のチャレンジということもあり、幼少期・学生時代など、これまでの人生の折々にあった出会いや出来事を次々と走馬灯のごとく、あれこれ心の中に思い浮かべ、それらと対話しつつこの日は歩を進めました。
そして、標高4703mの「キボハット」には5時間半かかって14時10分到着。


<ロベリアとキリマンジャロ>


<マウェンジ山をバックに>


<キボハットの標高案内板>

次回は、いよいよマイナス15度、酸素濃度が地上の25%と言われる5895m山頂アタックについて紹介させていただきます。    

2010年4 月10日(土) カテゴリー: 会員活動報告