サイクルボランティア・ジャパン

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ヤッタ~!キリマンジャロ登頂<後編>

アフリカ最高峰 ウフル・ピーク(5895m)に立つ!! その②
2010/5/20 大島政廣

登山第三日目 ※(キリマンジャロ5日目)(2月8日)

<キボハット(4703m)到着>

3日目の登山を終え、やっと頂上アタックベースとなるキボハット(4703m)に着いたのは14時30分でした。

ここは出発地点の登山ゲート(標高1800m)から延々42キロもの山道をひたすら歩き続け、標高でいうと約3000m登った地点になります。
 キボハットは、これまでの2つの山小屋と違い、食堂のような共同スペースもなく内部は2段の蚕(カイコ)棚のようなつくりになっており、一人分のスペースは寝袋1枚分が確保されているだけです。つまり横に10人がズラッと並んで寝袋に入って寝るだけといった(上下2段になっているため1つの小屋の定員が20人ほど)スタイルとなっていました。(登山荷物は枕元とベッドと入口にある空間に分けて置いておく)
 以前、テレビのドキュメンタリーでキリマンジャロ登山の様子を見た時に、この4700m地点のキボハットでは、ほとんどの人が軽重の差はあるものの「高山病」の症状が出て、幾分元気がなく食欲も余り進んでいない様子が放映され、ナレーションでも内臓に負担をかけないよう食事は軽めにした方がいいといったコメントが流されていたところです。
また、食後の睡眠も最初から横になって寝てしまうと意識的でなく睡眠モードの生理的な呼吸に変わり、呼吸・心拍数が共に抑制され、脳への酸素血流が少なくなり、高山病症状を悪化させるので、もたれかかるような状態で少しでも高度順応をはかってから寝るようにした方がいいといったコメントもされていました。
 また、別の登山者の記録を見ると、キボハット(小屋)までもう少しということで安心をしたのか後20mというところから走りはじめ、気がついたら倒れていたという話しもあり、ともかく少ない酸素をどのようにうまく取り込んでいくのかということが登山を続けていくうえで何よりも大切なポイントといえるところです。
以前キナバル (4095m) 登山の時には、途中の食欲もすごく、足の疲れもほとんど感じず、体調がいいものだから急斜面を力まかせにグイグイ踏み込むように登ったため、高度3300mのラバンラタ小屋に着いた時には、見事に高山病症状が出て当日のシャワーや食事をする元気も出なくなってしまい、その日深夜からの頂上アタックではかなりしんどい思いをしているので、今回はゆったりした感じ(スワヒリ語で「ポレポレ」)を忘れず、一歩一歩ゆっくりと足を運ぶように気を配りました。
また、登る時はよく言われるのですが「息を吐くこと」を意識した腹式の深い呼吸を心がけるなど精神面で負けないようにすることだけでなく、これまでの山登りの体験をフルに動員してキリマンジャロに立ち向かいました。
最初の2日間は、キリマンジャロに到着するまでの心労と登頂できるのかというプレッシャーが、登山開始後一気にのしかかってしんどい行程を余儀なくされたのですが、この3日目になって気持ちの切りかえがうまくいき精神面でのしんどさも吹っ切れ、登山に集中できるようになり高山病症状もまったく感じることなくここまで到達することができました。
 到着後、ベッドでしばらく休憩した後、サミット(頂上)アタックのため、ヘッドランプや、ありったけの防寒具の用意など準備を整え、早めの夕食をベッドでとり、深夜の出発に備えました。


<ベッドでの夕食>

 食事の方も1日目から2日目夕方まで水分・固形物共に体が受けつけないまま登山を強行してきたのですが、本番に向けて気分が大きく高揚していることやこの日お昼に骨付きチキンにかぶりついたりした栄養が確実に体内にエネルギーとして充電されはじめたのか、高度を増すごとに心身共にますます快調となり、夕食ではジュース、スープ、パン、ピーナッツなどおいしくいただくことができました。
同室のメンバーは、この2日間同じ山小屋で顔なじみとなったイラン人のグループが大半を占め、ベッドでしゃがみながら雑談を楽しんだりして交流を深めたりしましたが、午後6時には眠りにつきました。

※登山第四日目 ※(キリマンジャロ6日目)(2月9日)
――― いよいよ念願のサミット(頂上5895m)めざして、ゴールがあるから登り続ける ―――
 正確には、まだ2月8日夜11時にポーターの声で起床しました。5時間ほどでしたが、睡眠はしっかりととることができました。
 洗面、トイレなどをすませ、ベッドでスープ、ビスケットなどの朝食(夜食?)をとり、念願の頂上アタックにむけ、深夜12時ちょうどヘッドランプの明かりを頼りに、両手にストック、デイバッグは急斜面の登りに備えてできるだけ軽くし、不要と思われるものは極力メインザックに入れて鍵をかけ、留守番役のポーターに預けての出発です。
そのため、バッグの持ち物としては左右のリュックポケットにジュースを入れた水筒とお湯を入れたテルモス(小型の魔法瓶)、中には非常食、カメラ、オーバーグローブなど最小限の荷物のみにしぼりました。
 服装は、山頂のマイナス15度の寒さに備え、極寒用タイツ2枚、登山ズボンその上にレインズボン(さらにその上にオーバーズボンも用意していたのですが、吹雪にはならないということでガイドの指示でキボハットに残しておくことにしました)。上半身は極寒用(マイナス20度仕様)インナー2枚、長袖フリース、セーター、さらにマイナス30度まで使用可のジャンパーをしっかりと着込み、顔は目だし帽の上に耳あてのついた帽子、足元は登山靴の中に登山用の分厚い靴下を2枚重ね履きし、さらに雪・砂対策用のスパッツといった姿でのアタックです。

<完全装備でのアタック、バックに氷河>

 同室のイラン人グループは深夜2時出発とのことで、そのまま声をかけることもなく静かに部屋を出ました。このキボハットから山頂までは、ポーターが登ることは許されず、ガイドのソベリンさんと二人だけの行動です。

天候は、山頂アタックを祝福するかのように快晴。
小屋を出ての第一印象は、「星が空から降る」という表現がありますが、これまで世界各国を70回近く旅してきましたが、これほどまで間近にきれいで大きい星をみたことがないというくらいの満天の星空でした。天の川が星の集まりであるということは知っていますが、ここではその天の川を構成している一つひとつの星までがくっきりと見え、これから目指す1000m上方の山の頂上の稜線まで登ってしまえば手でつかめるのではないかというくらい空に低く大きく一つひとつの星が自己主張しているかのような輝きでした。また、空にこれほど多くの星があったのかというくらいたくさんの星がきらめいていました。
頂上へと続く急斜面では薄い酸素と体力を消耗する苦しい行程を余儀なくされ、どうしてもうつむきがちの姿勢で歩くことになるのですが、時折顔を上げた時に目に入ってくるこのすばらしい星空は道中の苦しさを吹き飛ばす大きな力にもなってくれました。

アタックベースのキボハットまでの行程は比較的ゆるやかな傾斜の登りでしたが、キボハット小屋を出るとすぐ砂礫層が始まり、おまけに進むべき道を見上げると顔を10~30度ではなく60~70度、まさに垂直に近いところに頂上の稜線があるといった感じの急斜面で、両腕に持ったストックは最初の砂礫層ではアリ地獄のようにズルズルと滑り落ちるのを防止するために欠かせないグッズとなりました。 

頂上アタックはこれまでと同様30分歩いて、小休止といったパターンで進んでいったのですが、途中前方を見上げるとはるか上を歩く人のヘッドランプの明かりが蛍(ホタル)が空を舞っているかのように見えたり、真後ろにはちょうど下半分のみの半月が山登りの背中を押してくれるかのように天空を昇っていました。

空に浮かぶ月は1時間に15度ずつ天空に向かって角度を上げていきますが、それと歩調を合わせるかのようなペースで、足元がズルズル滑る道を数時間モクモクと登り続けました。分厚いジャンバーを着ているため、袖をめくって腕時計を見ることができないのですが、振り返って月の昇り具合を見るとだいたいの時間の経過がわかり、またガイドの経験にもとづく勘で休憩の指示を受けつつ頂上に向け歩を進めました。
そして、キリマンジャロの最初のピークでもあり、ここまでくれば一応「キリマンジャロの登頂証明書」をもらえるというギルマンズポイント(5682m)に着いたのはキボハットを出て、ちょうど5時間経った午前5時、真っ暗闇の中での到着となりました。


<ギルマンズポイント到着>

でも、真のアフリカ最高峰ウフルピーク(5895m)までは、ここからさらに2時間の行程が必要です。
ここギルマンズポイントまでの道のりは傾斜もきつく、空気の薄い中での5時間の歩行で体力は確かに使ったものの「この日の行程は、とてもしんどいものになる」と自分自身の心の中に強く言い聞かせながら歩いていたこともあり、到着しての感想は「案外あっけなくここまでやって来られたなあ」というのが第一印象でした。
この5時間の行程の中では、しんどさをまぎらすために家族のことや若い頃からのこれまでの人生を振り返ったり、大好きなさだまさし、河島英五、テレサ・テンといった歌手の曲や学生時代によく口ずさんださまざまな歌を頭に思い浮かべたりしながら歩みを続けました。

このギルマンズポイント近辺はあちこち雪化粧をしており、とても驚いたのはリュックのポケットに入れていた水筒が外気温で冷やされ、完全にシャーベット状態になっており、飲もうとしても氷がじゃまをしてジュースがほとんど出てこないことでした。
また、手袋も極寒用の分厚いものを着用して出発したのですが、それでも途中から手がかじかんで冷たくなり1つ手前の休憩ポイントからは手の凍えに耐え切れずリュックからオーバー手袋を取り出し、それをさらにはめてストックを持つというありったけの完全防備のスタイルでの到着となりました。
もちろん標高との関係もあるのですが、深夜の出発時よりも明け方近くの方がさらに気温が下がると聞いていたのですが、正にその通りの実感となりました。
ここではガイドのソベリンさんと二人のショットと1人だけの2枚の記念写真を撮り、小休止をとった後、キリマンジャロの外輪山を回るような形でさらに約2㌔先、標高もここからまだ200m余り登るアフリカ最高地点である「ウフルピーク」(5896m)を目指しました。


<ガイドのソベリンさんと>

頂上までの最後のアタックはアイゼンが必要という程ではありませんでしたが雪道や、数十メートルもの高さの氷河に取り囲まれた中を歩くというまさにここまで登ってきたものにしか味わえない特権ともいうべき幻想的な景色の中での登山となりました。
途中、ご来光は6時20分頃でしたが、まばゆい光に感動しつつ昇りくる太陽を背に逆光での写真を撮ったりをしながら、“ゴールがあるからあきらめず登り続ける”というしっかりとした気持ちをもち、一歩一歩とサミットを目ざしました。


<氷河をバックにご来光>

一般的にいえば標高6000mに近いこの地点では気温マイナス15度、酸素濃度にいたっては実に平地の25~30パーセントといった世界で、ジッとしていても苦しく、ましてやこの条件のもと登山を続けることはとても過酷なものがあるのですが、どういうわけか頭痛や1~2日目に数え切れないくらいにあった吐き気などといった高山病による症状の苦しさは全くといっていいほどなく、感動の世界にひたりきるような感じのまま淡々と登り続けることができました。
周りを取り囲む荘厳な氷河や日の出の景色、頂上到達間近という喜び、何とも言えない充実感などがきっと高山病症状を吹き飛ばしてしまったのではないかと思っています。
また、健康でいられることへの大きな感謝も感じつつの歩みでもありました。
途中キリマンジャロ山頂を目指すいくつものルートが合流する「ステラポイント」(この地点まで到達すればやはり「キリマンジャロ登頂証明書」が発行してもらえます)を通過し、テレビで紹介されていたメルー山(4566m)も左手奥に放映通りの姿を実際に見ることができ、念願の山頂である「ウフルピーク」には陽も昇りすっかり明るくなった真っ青な空のもと午前7時10分に到達することができました。


<ウフルピーク(5895m) 登頂達成>

これまで多くの山頂で撮った写真は疲れもあり、どことなくしんどさの表情も垣間見えたのですが、ここ「ウフルピーク」での写真は疲れよりも「ヤッター」という感動の方が大きく、心の底から目が笑ったうれしさのいっぱいあふれでる表情でガイドのソベリンが持つカメラの方を見ることができました。
また、後でソベリンさんから凍傷になるから早くかぶるようにと叱られたのですが、目だし帽にヘッドランプをつけた状態では顔が半分隠れてしまうこともあって、それらを脱ぎ捨てヤッケのフードも後ろにやって素顔の登頂記念写真も撮っていただきました。


<目だし帽をとっての登頂写真>

そして、再び目だし帽をかぶる頃になってはじめて登頂の実感がだんだんと自分自身のものとなってきたのか自然と感動の涙が数滴あふれでてきました。
しかし、長時間の感傷にひたっている間もなく、ソベ 
リンから下山の声がかかったのですが、それまで登頂の喜びに浮かれていたのと写真を撮ることに気をとられ、ガイドのソベリンさんに感謝のことばを伝えることを忘れていたことに気づき、改めてお礼の意味を込め強くハグを交わし「Thank you」と謝礼を述べ、10分ほどの滞在で頂上を後にしました。
昨年8月に航空券を手配して以降、この2月にいたるまでの約半年間、山岳旅行専門会社の登山説明会に参加(2回)したり、テレビ放映、パソコン、本などでいろいろキリマンジャロの登山情報を収集し準備をしてきましたが、無事こうして登頂することができ、還暦記念にと計画したほんとうにすばらしいやり応えのあるチャレンジを見事、無事達成し、万感の思い出での下山となりました。
頂上を後に、同じルートを戻りましたが、途中ギルマンズポイントには午前8時半に到着。また、登りに5時間かかったキボハットまでは1時間50分で下りきって、10時20分に到着しましたが、砂礫層の砂走りの部分(道のようにわだちになっていないところ)は、ガイドのソベリンさんの腰にラインダンスをするかのようにしっかりと手を回して支え合い、登頂をお互いに祝福しあうかのごとく2人3脚のように体を密着させ、滑るようにして下り降りました。
以前キナバル登山の下りでは、登山靴の中で足が動き、坂を一歩下るごとに親指の先が靴にぶつかるように当たり、下山後に親指の爪が内出血で真っ黒になってしまい(後日、両足とも指の爪が剥がれてしまいました)数日間痛くて歩くのがものすごく辛かったことがあるため、今回は足が靴の中で動くことのないよう靴紐をガッチリと締め足首を固定して下山したため、足の爪を傷めることなく下りきることができました。
「キボハット」に着いてからは、アタック中の10時間余り大小共に行くことがなかったトイレを済ませ、いったん昨晩休んだベッドに戻り、アタック用に分厚く着込んだ服を片づけ、汗で濡れた下着を交換し、10時30分から11時30分まで1時間ベッドで昼寝を交えての休憩をとりました。起床後ベッドで昼食を済ませ12時半に、山中で2泊目を過ごした「ホロンボハット」(3720m)まで下山のため「キボハット」をあとにしました。
 標高差1000m、距離でいえば15キロの道のりを途中2回の休憩をとっただけで、登頂の疲れもさほど感じないまま往路丸1日かけて登った行程を下り、ホロンボハットには15時40分に到着しました。
指示されたロッジに行くと6人部屋で、下から登ってきたスウェーデン人グループ5人(男性1人、女性4人)がすでに入室していました。こちらは登頂を済ませていたことから心軽やかにあいさつをしたのですが、彼・彼女たちは先天的なものなのか、こちら以上に明るく声を返してくれ楽しい国際交流のひとときを過ごすことができました。
夕食はポーターのドゥラさんから「焼き飯」と聞き、大いに期待をしていたのですが、高所(3720m)のため沸騰点が低くうまく炊けないのかごはんに芯があり、また味つけがほとんどなくお米も日本で食べているようなものと違っていたこと。さらにこの日のスープはアフリカ流の味つけなのか、やけに辛くて口に合わないなどちょっとガッカリしたところもあったのですが、日本でも販売されている「ミロ」にお湯と砂糖を入れて飲んだのが一番のご馳走となりました。体が温まり、その甘さは疲れた体に染み入るように入り込み、2杯をじっくりと味わうなどして登頂を祝う夕食を済ませました。そして、19時15分に外に出て雲海に沈むサンセットを見た後、長かった1日を終え、寝袋にもぐりこんで就寝。

※登山第五日目 ※(キリマンジャロ7日目)(2月10日)
――― 往復4泊5日、距離にして100キロメートルにも及ぶキリマンジャロ登山の完結 ―――
標高3720mのホロンボハットでの起床は6時30分。
前日深夜からの登頂そして、キボハット経由ホロンボハットまでの下山という16時間近い山歩きの疲れもあってグッスリと睡眠をとることができました。
ポーターが用意してくれた洗面器に入ったお湯で、顔を洗い・ひげを剃り、さっぱりとした気分で卵焼き・パン・スープなどの朝食を食べ、7時50分出発。登山2日目に丸1日かけて登った標高2727mのマンダラハットまでは途中一回の休憩をはさみ10時30分到着。山小屋近くの水場で水筒に水を補給し、日本から持参のお菓子をガイドのソベリンさんと分け合うなどして15分の休憩をとり、最終ゴールである登山口マラングゲート(標高1800m)に向かって出発。
登山第1日目に半日かけて登ったマラングゲートまでは、2時間15分で約1000mの標高差を下り降り、12時55分長かった4泊5日、距離にして往復100キロにも及ぶ登山行のゴールを迎えました。この日は、ホロンボハットから標高差2000m、距離にして27キロをいっきに下ってきたことになります。登山ズボンにつけていた万歩計を見るとここまでのこの日の歩数が31444歩とカウントされていました。
公園事務所で、ウフルピーク登頂の証である金色ワクで名前、日付、通し番号、年齢、登頂時刻、ガイドを含む3人のサインの入った「登山証明書」を受け取り、念願のキリマンジャロ登山をこうして完結することができました。


<登頂証明書>

山頂ではマイナス10度を下回る気温の低い山登りでしたが、高所での紫外線はとても強く、日本から持参した日焼け止めクリームを毎朝つけて歩いたのですが、後ろの首筋は水泡ができるくらいの日焼け、またこれははじめての経験ですが、クリームを塗っていなかった耳は前後共に蛇が脱皮するかのごとく後日、日焼けのため皮が見事にめくれてしまいました。
こうしたことからも、体中のすべてがキリマンジャロ登頂のためにがんばってくれていたのだなあということを実感しました。
登山後のあれこれや町に戻って翌日からは1泊2日で自然サファリの旅に出たのですが、こうしたことについては、別の機会に紹介できればと思っております。
――― キリマンジャロ登頂記は、これにて完結とさせていただきます―――

2010年5 月22日(土) カテゴリー: 会員活動報告

「奈良サイクルフェスティバル(2010/4/11)」ボランティア参加

浦川勝己 記

4月11日(日)に建都1300年祭のプレイベントとして会場の中を1日自転車を乗り入れることができる、とあって早朝から自転車好きが大集合。タイムトライアル・タンデムイベント・ジュニア教室など色々な催しがありました。
走行しているところから大極殿が見え、奈良の真ん中に壮大な敷地が残っていたとは。
当日は早朝に小雨はふっていましたが、タンデムパイロットをする頃は快晴でした。

タンデムボランティアとして視覚に障害を持たれている73歳の男性を担当しました。
10時から12時までタンデム走行は当たり前ですが、休憩からトイレまでいっしょに行動の2時間でした。担当した男性は40代で網膜色素変性症という病気で視野がだんだん狭くなり50歳の頃には少し明かりがわかるぐらいの視覚になったそうです。視覚がなくなるまでは自転車も乗っていたしこの会場を散歩していたそうです。73歳ですので安全に走行できるタンデム選び、サドルの高さをセッティングしていざ走行、速く走るのが得意の私がスピードを落として安全走行、1周 1.5㎞のコースを走行中色々な会話をしながら、久しぶりに爽やかな風を切って走り「爽快です」と喜んでいただき、そのことばで参加して良かった・・・。

モラルのある走行で全国の公道で、タンデムが走れる時が早く来ればと思い、つぎは小豆島イベントでタンデムパイロットです。                       
いっしょに参加された大島さん、友田さん、スティーブ 早朝よりお疲れ様でした。


友田


大島


浦川

2010年5 月20日(木) カテゴリー: 会員活動報告

CVJメンバー自転車誌に続々登場!

CVJメンバー自転車誌に続々登場!

2010年4月に発売された、「サイクルスポーツ5月号」「サイクリングライフ創刊号」に
CVJメンバーが続々と掲載された。

「サイクルスポーツ5月号」には雑誌創刊40周年企画である特集
『The Distance:世界一周サイクリストの軌跡』に、伝説のサイクリストとして瀬戸圭祐氏、
松葉京三氏の2名が、話題のサイクリストとして埜口保男氏が紹介された。

また、「サイクリングライフ創刊号」には、『自転車通勤人座談会』のメンバーとして
梅村理恵子氏、碓井ルミ子氏が登場。

「サイクリングライフ創刊号」はメンバーの松阪佳彦氏が編集長であり、同じくメンバーの
佐々木みき氏も編集に携わっている。

さらに、オーストラリア人のメンバーであるスティーブ・シール氏(シール・エミコ氏の夫)も
エミコ氏とともにその壮絶な旅を紹介されている。

2010年5 月7日(金) カテゴリー: 会員活動報告