サイクルボランティア・ジャパン

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ニュージーランド・オーストラリア自転車旅行(2010/12/1-2011/3/23)

宮田 固


頂上手前で出会ったサイクリストに写してもらいました。

 今回の自転車旅行の予備訓練として韓国釜山とその周辺を自転車旅行した(2010年9月10日~12日)とは言え、サイドバッグ4個(前輪・後輪にそれぞれ2個)、フロントバッグ1個それに後輪荷台にリュックサックを積んでの旅行は夫婦二人とも初めての経験。

<ニュージーランド編>
 不安だらけの中、2010年12月2日、ニュージーランド(以下NZ)・オークランド空港に到着。翌3日から南に向けて自転車を漕ぎ出しました。当初はあまりの荷物の重さにハンドルを取られ、ふらつきながらの自転車走行で、もう後戻りは出来ないし、正直なところ、南島まで無事辿り着けるかな、と思いながら街を走りだしました。

 2日目から、緑が鮮やかでゴルフコースのような牧場が左右に広がり、羊・牛が草を食んでいるのどかな風景に変り、自転車走行に慣れてくると、余裕が出き、不安な気持ちは徐々に薄れ、「何とかなるんじゃないの」へと変って行きました。

 一般道路は「自然をできるだけそのままにする」のが国策なのか、建設費を抑えるとそうならざるを得ないのか詳しいところは分かりませんが、トンネルはなく道路はアップダウンの繰り返しで、丘を上っては下りる、そんな感じでした。
 時には、川に架かる橋を越えると丘というか峠への険しい上りが待っていて、それを乗り越えると、今度は一気に川底に向けて下りで、また、峠に向けて険しい上りが待っているということもしばしばでありました。

 基本的にNZ・豪州とも晴走雨休で、走行距離は一日50km前後、雨が降らない日はテント泊まりにし、雨が降ったり疲れた日はユースホステルやBackpackersホステル泊まりにしていました。旅行全行程を通じて、凡そ7割がテント泊でした。
 NZでのキャンプ場はキッチン設備が充実し、大抵、ガス・電気コンロ・食器が備えてあって、自由に使え、キャンピングカーでのNZや欧米の長期旅行者が大勢います。2ヶ月、3ヶ月と旅行している者はザラで、老夫婦で旅行している人達にもよく会います。大勢の外国人にも会いました。ドイツ人やフランス人が特に多かったように思います。
 NZではホステルも同じようにキッチン設備が充実しているのが大助かりで、食事は基本的に近くのスーパーで買い出しをしてキッチンで自炊していました。安く上がり、しかもいろんな人と知り合いになり、旅行情報も得られるとあって一石二鳥で楽しいものでした。キャンプ場で韓国、中国(台湾?)の若者にはしばしば会ったものの、日本人の若者に会うことはほとんどなかったのが残念でした。

 そんなこんなでNZでは、北島は途中、親切なNZ人に100kmほど車に乗せてもらった以外はオークランドから北島の端、ウエリングトンまで600kmほどを縦走し、12月17日に到着しました。翌18日、対岸の南島に渡り、東海岸線を南下し鯨ウオッチングで有名なカイコーラの町でクリスマス、大晦日・正月はクライストチャーチで過ごしました。
 その後は南島の中間部を走り、ミルフォードサウンドに近い観光地で有名なクィーンズタウンに1月15日到着。自転車での総走行距離は1600kmほどになりました。ここで一旦サイクリングを中断し、19日からレンタカーを借りて南端部やダニーデン・オタゴ半島を通って西海岸を走り、1月27日クライストチャーチに戻り2月1日次の訪問地、メルボルンへ向いました。


昼食休憩:自転車を止める場所を捜すのに苦労していました


ずっとこんな道路が続けばいいんですが

<オーストラリア編>
 メルボルンに到着した日は熱風が吹く暑い日だったのと、泊まったホステルがよくなかったこともあり、これまで何度もいい所だと耳にしていたタスマニアへ行くことにしました。
 2月4日、メルボルンからフェリーでタスマニア北部の町、デボンポートに渡り、自転車旅行を再開。東海岸を通って、2月20日州都ホバートに到着しました。そこからバスで北部第2の都市、ローンセストンまで戻り、最後、デボンポートまで自転車で走り、27日の夜行フェリーでメルボルンに戻りました。
 タスマニアでの走行距離は860kmほどになりました。こちらもNZ同様坂の多いところで、アップダウンの連続に音を上げることしばしばでした。東海岸に出るまでサイクリストには一人も会わず、選んだコースが悪いのかな、と寂しい思いをしながら走っていましたが、東海岸に出てからはしばしばサイクリストに出会うようになりました。やはりここでも、ドイツ人、フランス人が多かったように思います。日本人サイクリストはホバートで二人会っただけでした。

 3月1日、メルボルンから西に60kmほどにあるGeelongまで走り(40km弱自転車で走り、交通量が多いので途中で電車に乗り換えました)、そこからアデレードに向って西海岸沿いに延びるグレートオーシャンロードを走り出しました。これまでに出会ったサイクリスト達から「この道路はいいところだ」と聞いていたので、平坦な海に沿って延びる広々とした道路を頭に描いていましたが、アップダウンの多いところでフーフー言いながら走っていました。
 アデレードまでと思って走ったものの結局、アデレード手前600kmほどのポートフェアリという町まで走ったところで走行を断念。そこで折り返しワーナムブールという町まで自転車で戻り、汽車でメルボルンまで引き返しました。
 メルボルンからグレートオーシャンロードを含めたオーストラリア本土での走行距離は470kmになりましたが、自転車走行中サイクリストには誰一人にも出会うことがなかったのは意外でした。本土でのキャンプ場はキッチン設備がないところも多くて、NZでの楽しかったキャンプ生活が懐かしく想い出されました。

 NZ、豪州のタスマニアとグレートオーシャンロードまでは自転車とキャンプ生活だったのが、最後の2週間ほどは旅行で知り合ったオーストラリア人の家にお世話になりっ放しになり、結局、時間がなくなりアデレードへ行くのを断念、汽車でメルボルンに戻ることになってしまいました。
 東日本大震災のことはポートフェアリの知人宅で知りましたが、連日、津波被害と福島原発事故の映像報道が流れていて、スーパーで買い物をしている時や道を歩いている時に日本人と分かると、しばしば慰めの言葉を頂きました。


タスマニアもNZに引けを取らず坂の多いところでした


タスマニア東海岸にて

<参考データ>
[ニュージーランド]
●期間:2010年12月2日~2011年1月31日(62日)
●行程12/1(成田)->12/2(Auckland)->12/6(Raglan)->12/10(National Park)->12/7(Wellington)->12/23(Kaikoura)->12/30(Christchurch)->1/7(Lake Tekapo)->1/12(Wanaka)->1/15(Lake Tekapo)->1/14Queenstown)->1/7(Lake Tekapo)->1/23(Fox Glacier)->1/26(Christchurch)->2/1(Melboune)
●自転車走行コース:北島Aucklandから南島Queenstownまで(北島で途中100kmほど車に乗せてもらいましたが)自転車で走り、腰痛のためQueenstownで自転車走行を断念し、レンタカーを借りて西海岸経由Christchurchまで戻る。
●自転車走行距離:1780km(北島 590km、南島 1190km)

[オーストラリア]
●期間:2011年2月1日~2011年3月23日(51日)
●行程:
2/1(Melbourne)->2/4(タスマニア Devonport)->2/9(Bicheno)->2/15(Port Arthur)->2/20(Hobat)->2/23(Launceston)->2/26(Devonport)->2/28(Melbourne)->3/1(グレートオーシャンロード Geelong)->3/3(Apollo Bay)->3/10(Port Fairy)->3/15(Werribee)->3/23(関空)
●自転車走行コース:
メルボルンからフェリーでタスマニアの北部の町、Devonportに渡り、そこから自転車旅行を再開、東海岸を経由して州都、Hobartまで走った後、バスでLauncestonまで戻り、そこからDevonportまで自転車で戻る。フェリーでメルボルンに渡り、海岸線に沿って延びるグレートオーシャンロード経由アデレードを目指したが、距離にして1/3くらいのPort Fairyでアデレード行きを断念し汽車でメルボルンに戻る。
●自転車走行距離:1330km(タスマニア 860km、グレートオーシャンロード(豪州本土) 470km)

[自転車]
●TREK 7.5FX クロスバイク(夫婦同じ自転車にしました。トラブル発生した時にお互いの自転車を見比べれば原因解明が容易と考え)
●タイヤ、チェーン、ブレーキシュー、スポーク(荷物を多く積むことになる1台のみ、32本に組み替え)のみ改良
●ボトル・ホルダーケースを一つしか自転車フレームに取付けられないので不便(ペットボトルを荷台にくくりつけていた)

[荷物](各一人分)
●サイドバッグ 4個(前輪 X 2、後輪 X 2)
●フロントバッグ 1個
●リュックサック(後輪荷台 テント他嵩張るものを収納)
総重量(二人で80kg~90kg自転車・キャリア・バッグ込み)。他のサイクリストと比べても荷物が多くて、NZで輪行袋、ラジオ等日本に送り返して11kgほど減量した。

[自転車トラブル]
●パンク一度もなし
●ブレーキワイヤが切れかかり、Kaikouraの自転車でワイヤ交換
●チェーンが走行中、2度はずれた

[失敗等]
●両替したNZドル・豪ドルそれぞれ10万円相当、家に置き忘れてしまった。支払いはほとんどクレジットカードで済ますことができたが、中には現金しか使えない時があり、心細い思いをしたこともあった。
●友人等のメールアドレスを控えてくるのを忘れてしまった
●紛失:自転車用ウインドブレーカー、タオル2本、コンタクトレンズケース

2011年5 月26日(木) カテゴリー: 会員活動報告

被災地ボランティア活動(2011/4/30-5/1)

4/30(土)、5/1(日)と自転車バトラー隊隊長の呼び掛けに応じ、4名が東日本大震災被災地ボランティア活動を行いました。
活動拠点は、宮城県内で唯一県外ボランティアを受け入れている「岩沼市災害ボランティアセンター」。土砂などを運び出す一輪車のパンク修理など資材整備を担当することに。岩沼市は小型飛行機が流されている映像で有名となった仙台空港のすぐ近く、海沿いなので津波の被害が甚大でした。

1名は仕事が見つかったものの、残りの3名は次の作業まで数時間がありました。そこで建築士であるメンバー他2名は近くの被災した岩沼教会へ行き、被災した建物の復旧方法のご相談を受けました。岩沼教会は築81年の絵本に出てくるような美しい石造りの教会です。

教会は塔と礼拝堂から成り、損壊が著しいのは塔でした。

この教会は地震の無い国の作り方。石を積んでその間をモルタルで固めたもので、揺すられれば崩れるものだという事、そうならないためには鉄筋を入れたコンクリート壁にする必要がある事、を建築士メンバーは牧師さんに説明していました。

ただし礼拝堂は両壁に梁が渡してあったため、損傷はなく、その梁を下から支えてあげれば問題ないということでした。問題は塔で、美しい現在の外装を保とうとするならば、石の壁は飾りとし、その内側に塔を支える鉄筋コンクリート壁を建て、それに石の1つ1つをアンカーで固定するという方法があるとのことでした。

西洋の重々しい完全な石造りの教会とは異なり、壁や窓枠や床に磨きこまれた黒光りしている木を使っているため、温かみのある素晴らしい教会でした。ぜひ残してもらいたいと願いつつ、美しく、歴史的にも重要な教会を見せて頂いたことにお礼を言ってお別れしました。
ボランティアセンターに戻り、20名程度でグループ分けされてミーティングをし、注意事項を簡単に説明され、リーダーが指名されました。
 マイクロバスで現場へ向かうと、そこは学校や工場や住宅に囲まれた30×30m程度の広さを持つ畑で、後でメンバーの一人が調べたところ、海岸線から直線で2.4km離れていました。
有機野菜を育ててきたその畑は津波と共に流れて来た松の枝、藁、ノイバラと泥が混じった10センチ程度の厚さの泥の層で覆われていました。
私達の作業は、この層を取り除くこと。その後、石灰などでpH調整し、畑として使うそうです。実際の作業は、ゴム手袋で泥や藁の塊を丈夫なゴミ袋に持てる程度の重さまで入れて、袋が幾つか溜まると一輪車で畑の入口に積んでおくというものでした。

50分やって10分休憩、を2度繰り返して終了、という2時間作業を20名程度でおこないましたが、午前にも作業されていたのでほぼ終了し、翌日の午前中にもう一度入れば片付け終わるだろうとの事でした。

もう1名は個人の住宅の敷地内の泥掻きをしました。泥は固まって、男性でも剣スコップという先の尖ったもので無ければ歯が立たなかったそうです。通常のスコップは重いので、特に女性には全く役にたたず、やや小さ目のものを借りてようやく泥をゴミ袋に入れる作業ができたという事でした。40-50枚ほどあったゴミ袋は全て使い切ってしまったので作業終了となったということでした。

仕事をしてセンターに戻ると、高圧洗浄機で長靴を洗い、ゴム手袋やスコップは盥で洗って、終了です。

炊き出し隊がラーメンを振る舞ってくれ、ご馳走にもなりました。
カナダ人の大学教授という小柄な女性も茨城から駆け付けて参加されていました。
宿への帰りがけに、海岸の方へ被災状況を見に行きました。車を走らせてすぐにこれまでの景色は一転し、破壊され尽くした世界が突然目の前に現れました。流されてきた泥が乾いて風に混じり、独特の匂いがし、恐らく田んぼであったであろうそこには、トラックが落ちたままになっており、屋根だけが2軒分流れ着いており、電柱は倒れ、着物が引き出しごと放り出され、道路は崩れたままになっていました。津波の爪痕がそのまま残されており、私達は言葉を失いました。

海岸とほぼ隣接していた住宅地は悲惨でした。家はほぼひっくりかえっており、立っていたとしても壁が丸裸に剥ぎ取られ、家財道具が丸見えになっていました。

その中で神社の社や鳥居だけは不思議とほぼ無傷で立っていました。また近くには遺品だと思われる宝石箱、真珠のブローチ、古い葉書の束、ビデオカメラなどが綺麗に並べられていました。
私達はさらに海に近づき、大半の箇所で津波で壁がえぐり取られた堤防を見ました。堤防は幅10m、高さも同じくらいで、なだらかな山型に作られていたにも関わらずです。場所によって海側がえぐり取られたところもあれば、陸側がえぐり取られたところもありました。こんな巨大なコンクリート構造物が使い物にならなくなるまで破壊されているのを見て、津波の力が想像を超えていたことに気付き、初めて恐怖を感じました。

その後、真っ暗な仙台空港や流された小型飛行機を見つけたりしつつ、宿へ向かいました。
宿の輪王寺に着くと、自転車バトラー隊の小島隊長がミーティング後、私達を待っていて下さり、握手を交わし、『緑の防潮堤』の話しを御住職から聞くと良い、と教えて頂きました。小島さんは別の宿へ戻られました。

翌朝、御住職から300kmの海岸線に沿って地面を掘り起こし、24年分の廃棄物処理量である瓦礫を埋めて土を被せ、それでできた山の側面に木を植える緑の防潮堤のお話を聞きました。コンクリート堤防と違い、水をはじき返すのではなく、吸い上げるので強度があり、植える樹木は松など今回の津波で悉く流された浅根性の樹木は避け、残った深根性かつ潮風に強い樹木を植えて人々の憩いの森にする、という計画です。
これは植物生態学の世界的権威である横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏の提言であり、昨日内閣府に提出したとの事でした。既に荒浜海岸で試験が始まろうとしているとも。希望が持てる話を聞く事ができ、本当に嬉しく思いました。
災害復旧の小さなお手伝いをしつつ、被災状況と立ち上がろうとしている東北の方達の力を感じ、今後もできることをしていきたいと感じつつ仙台を後にしました。

(文責:北林麗子)

被災地体力支援・自転車バトラー隊
http://www.facebook.com/311butler

2011年5 月20日(金) カテゴリー: 会員活動報告

タンデム自転車体験会(2011/5/8)


大阪市内にある「大野川緑陰道」で、大阪視覚障害者の生活を守る会・主催、大阪でタンデム自転車を楽しむ会・協賛による「タンデム自転車体験会」が行なわれました。

深夜に雨が降り、朝方も曇り空でしたが、イベントが始まる前からはどんどんと天気もよくなり、自転車に乗ると汗が出てくるといった状態の中での開催でした。

視覚「障害」のある方20名、ガイドへルパー、ボランティア、家族など約70人が集まり、ここが大阪市内とは考えられないくらい木々の緑がいっぱいあふれた整備されたサイクリング道を利用(片道約2㌔のコース)してのタンデムイベントです。

CVJ関係者は7名がパイロットとして参加し、用意された13台のタンデムの内6台のパイロットを担当し、視覚「障害」をもった方々とサイクリングのひとときを楽しみました。
また、CVJとしては、パイロットとしての役割を果たしただけではなく、「タンデムを楽しむ会」としての挨拶を大島が担当したり、タンデム自転車の整備を友田中心に協力したりもしました。

イベント終了後には、各団体のメンバーが集まって反省会。今後の定例会について、タンデムパイロットの手引き作成のことなどを話し合ったり、主催者側の参加メンバーとの交流を行なうなどして半日を過ごしました。
トップの写真は開会式の様子、下の1枚はサイクリング出発地点でのスナップです。

本イベントが「あおぞら財団」のHPで紹介されています。

大島政廣記

2011年5 月11日(水) カテゴリー: 会員活動報告