先日、TOHEIがタイからベトナムまでサイクリングをしてきました。その旅の様子を紹介させて頂きます。
今回の旅行は僕の母親が予てからタイに行ってみたい!と言っていたのがきっかけだった。タイには、1年前のサイクリング中に知り合い、そのまま3ヶ月もお世話になった友人家族がいる。そこに今度は親子で世話になろうと言うのだから今考えれば図々しかったかもしれない。
タイに飛んだのは6月13日。当初は、僕も母親と共に9日で帰国するつもりでいたが、折角海外まで来てサイクリングをせずに帰るのは勿体無い。なので母親を帰らせた後一人でサイクリングをすることにした。目指すはベトナムのホーチミン。7月の「しまなみ海道」のイベントに参加するため、僕に残された時間は約3週間。その時間でなんとか行ける範囲にあるのがホーチミンという訳だ。

写真:タイ北部の寺院にて
6月22日、タイ北部とバンコクの観光を終え、空港で母親を見送った。そこから今回の旅の後半が始まった。
しかし、すぐに出発は出来ない。先ずは物資と身体の準備、そして帰りの航空券の手配だ。一週間ほどはバンコクの友人宅に留まり、トレーニングと交通費節約のために毎日友人宅とバンコク中心部を自転車で往復した。
行かれた方はご存知かと思うが、バンコクは他のアジアの都市同様に自転車が快適に移動出来る都市とは言えない。道路上の多くを自動車とバイクが占め、路肩が無いところも多い。そして車やバイクの交通マナーの悪さ。絶対数が少ないせいか自転車は道路上で軽視されがちである。しかし、そんな中だからこそ同じサイクリストを街で見かけると、妙な連帯感を覚え気軽に話が出来てしまう。また、かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれたほど運河が多い。大抵その脇には幅1m程のコンクリートの道が続いており、これが以外に自転車で走ると面白い。柵も何も無いため落ちる危険はあるが、地元の人しか使わないような裏道を縦横無尽に走ると、そこに住む人々の生活を垣間見ることができる。

写真:バンコク運河を友人とクルージング
7月1日、いよいよ走行開始。1日100kmのペースで先ずはカンボジアとの国境に向かう。タイ国内は順調に移動を続けられ、4日目にカンボジアとの国境に辿り着いた。国境を越える時はいつも新たなる国への不安と期待でドキドキする。入国して先ず驚いたのは、国境を越えた途端そこからオフロードになっていることだった。

写真:国境の町・ポイペト(カンボジア)
事前に仲間より聞いてはいたが、国道なのに舗装がされていないのはやはりショックだった。日本のように細部まで舗装がされいるタイと“国境”を挟むだけでこうも違うとは…。それでも10kmほど先に行くと敷かれたばかりの舗装路に変わってくれた。どうも国道の舗装化に向けて工事の最中のようである。
それにしても舗装路がこんなに走りやすい道だなんて改めて思い知らされた。しかし、それも長くは続かない…。地元の人に次の日の区間のシソポンからシェムリアップまでの100kmの道路状況を確かめると、なんとまだ全線未舗装路だと言われた。サイクリストとしてはとりたくない手段だが、ここは自動車で移動することを決意。結果として自分の轍に空白を作ることになったが、車の移動もいい経験だった。というのも僕が利用したのは最も安上がりで地元のカンボジア人も利用するピックアップトラックという乗り物。荷台には人でも荷物でも載せられる物は目一杯載せる。過積載も定員オーバーも関係ない。僕は乗り場についた途端勝手にサイドバックを取り上げられ、言われるがままに車を指定された。そして提示された10ドルを払い荷台に乗り込んだが、実はこれは車内の座席料金だったことを後から知る。(荷台は車内の半額らしい)
まあいい。強烈な日差しと熱風に晒され、半ば落ちそうになりながらも揺られて過ごした3時間は、現地の人々に近づけた気がしたから。同じ荷台に何時間も乗っていると、言葉は通じなくても不思議に気持ちが通じ合える。最後車を降りる時、おばちゃんが笑顔で手を振ってくれていたのが何だか妙に嬉しかった。そういえば、シェムリアップの町外れに入ったとき、ドライバーが警官に何か手渡していたっけ…。あれは何だったのだろう?(笑)

写真:ピックアップトラックに載せた愛車、

荷台の様子
やっと着いたシェムリアップはカンボジアを代表する観光の町である。何といっても世界遺産のアンコール遺跡があるからだ。僕が今回バンコクから東へと進路をとったのも、ここに来たかったのが大きい。アンコール遺跡を見学するためにこの町では2日滞在することにした。タイから国境を越えて以来、カンボジアの大きな町は3つ目になるが、この町がそれまでの町とは全く違うことにすぐに気付いた。町は今もホテルの建設ラッシュが続き、通りの両側には外国人向けのレストランやバー、マッサージ店が軒を連ねている。町全体が外国人旅行者向けに出来ているといっても過言ではない。旅行者が望むようなサービスはお金さえ払えばどんなものでも受けられるのだ。それはそれで快適かもしれないが、僕のような貧乏旅行者には居心地が悪い。物価も他と比べると高いし、人々の感じもどことなくビジネスライク。それらはどうも華僑の影響があるようだ。
カンボジア西部の農村部では「漢字」を全く見なかったが、シェムリアップに来て一転。小さな商店の多くは中国式の祭壇を祀り、「○○大飯店」やら「○○大酒店」など大型のホテルまでも中国人資本のビジネスと思われる。当然、商店のオーナーが中国人でカンボジア人は彼らの元で働いているケースが多く、カンボジア人の社会的立場は自国に居ながらも華僑の下のように見受けられる。実はこれと同じ光景を僕はマレーシアで目にした。人のいい、他宗教に寛容なマレー民族は華僑にビジネスを掌握されてしまい、今日のマレー民族と華僑との社会的地位の格差は大きな問題になっている。きっとカンボジアも内戦終結後の混沌とした状況のうちから華僑がビジネスの押さえたのだろう。その結果、マレー民族同様、温厚でのんびりとしたカンボジア人も華僑の下で働くという構図になったに違いない。
僕はシェムリアップに来た途端、観光地ムードに冷めてしまい、人とのコミュニケーションが億劫になってしまった。何も語らずに鎮座する遺跡見学に集中することで何とか楽しみを見出していた。

写真:アンコール遺跡
さて、シェムリアップを出ると再び長閑な田園風景へと戻る。それと同時に僕の気持ちも晴れ晴れとしてきた。農村部に住むカンボジア人はとっても純粋で、子供だと例外なく「へロー!!!」と声を掛けてくる。その純粋さと言ったら何かこちらが彼らを汚してしまうのではないかと心配するほど。彼らの生活は決して楽ではないとは思うが、競争社会の人々には無い自由な様子がありありと伝わってくる。

写真:地平線まで続く田園風景
シェムリアップから三日ほど走ってカンボジアの首都・プノンペンに到着。通りはバイクが犇めきあい、人の数も多い。さすがは首都だ。でも、悲しいのは自転車の数が圧倒的に少ないこと。プノンペンは確かに大きな町だが、普段の生活圏内なら自転車でも十分な筈だ。なのに人々は例え歩いていける距離でもバイクを使おうとする。自転車はどうも“バイクを買えない人の乗り物”もしくは“子供用”という位置づけされているようで悔しい。まあ、これはプノンペンに限らずアジアの殆どの国でそうなのだが…。
それにしてもプノンペンもシェムリアップ同様、いやそれ以上に華僑が多い。彼らは中国人同士の場合、クメール語を使わずに中国語を使う。ここまでくると自分は中国に来たのか?と一瞬錯覚を起こす。町の一部のみならず、いたる所にこうした華僑がいるのでいい加減うんざりしてくるのだ。どうも僕はこの町が好きになれなかった。
そんな中、唯一訪れた甲斐があったのはポル・ポト時代に刑務所として使われていたトゥール・スレン博物館。現在も、当時の建物がそのままの形で残っていて、殆どの独房に入ることが出来る。独房では当時の様子の写真を始め、実際に拷問に使われた機械や足かせ、そして囚人だった人の頭蓋骨なども展示されている。収監されていた全員?の顔写真一枚一枚は特に衝撃的だった。今日のカンボジアの平和を考えると、そこで語られている残忍な虐殺行為がつい30年前に実際に行われていたとは信じられない。現在、カンボジア国内にも所得の格差、スラム、薬物、エイズ、交通事故等問題は多いが、それでもカンボジア人の笑みに偽りが無いのはきっと今の平和の真のありがたみを知っているからなのだろう。この博物館を見学後、そう思うようになった。

写真:トゥール・スレン博物館

博物館内部の展示室

足かせの数々
さて、この後国境を経てホーチミンへと向かったのだがこれ以上あまり書くことが無い。というのも、出国の日が迫っていたことから「何としてもその日までに着かなければ」という思いがあり、単なる移動になってしまったのだ。疲れていても走りらなければならず、ゴールの町に着いたら宿に直行、朝になったら再び走り始める…。これの繰り返しだった。もはや“旅”ではなく“移動”になってしまい本末転倒に陥った。身体も正直で、疲労が溜まったせいで最後は食中毒にもなってしまった。全ては自分のミスである。これを避けるためには、もう数日バンコクを早く出るか、全体の走行距離を減らしてもっと手前の都市を出国地点とするべきだったと今反省している。

写真:カンボジア・ベトナム国境