サイクルボランティア・ジャパン

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ニュージーランド・オーストラリア自転車旅行(2010/12/1-2011/3/23)

宮田 固


頂上手前で出会ったサイクリストに写してもらいました。

 今回の自転車旅行の予備訓練として韓国釜山とその周辺を自転車旅行した(2010年9月10日~12日)とは言え、サイドバッグ4個(前輪・後輪にそれぞれ2個)、フロントバッグ1個それに後輪荷台にリュックサックを積んでの旅行は夫婦二人とも初めての経験。

<ニュージーランド編>
 不安だらけの中、2010年12月2日、ニュージーランド(以下NZ)・オークランド空港に到着。翌3日から南に向けて自転車を漕ぎ出しました。当初はあまりの荷物の重さにハンドルを取られ、ふらつきながらの自転車走行で、もう後戻りは出来ないし、正直なところ、南島まで無事辿り着けるかな、と思いながら街を走りだしました。

 2日目から、緑が鮮やかでゴルフコースのような牧場が左右に広がり、羊・牛が草を食んでいるのどかな風景に変り、自転車走行に慣れてくると、余裕が出き、不安な気持ちは徐々に薄れ、「何とかなるんじゃないの」へと変って行きました。

 一般道路は「自然をできるだけそのままにする」のが国策なのか、建設費を抑えるとそうならざるを得ないのか詳しいところは分かりませんが、トンネルはなく道路はアップダウンの繰り返しで、丘を上っては下りる、そんな感じでした。
 時には、川に架かる橋を越えると丘というか峠への険しい上りが待っていて、それを乗り越えると、今度は一気に川底に向けて下りで、また、峠に向けて険しい上りが待っているということもしばしばでありました。

 基本的にNZ・豪州とも晴走雨休で、走行距離は一日50km前後、雨が降らない日はテント泊まりにし、雨が降ったり疲れた日はユースホステルやBackpackersホステル泊まりにしていました。旅行全行程を通じて、凡そ7割がテント泊でした。
 NZでのキャンプ場はキッチン設備が充実し、大抵、ガス・電気コンロ・食器が備えてあって、自由に使え、キャンピングカーでのNZや欧米の長期旅行者が大勢います。2ヶ月、3ヶ月と旅行している者はザラで、老夫婦で旅行している人達にもよく会います。大勢の外国人にも会いました。ドイツ人やフランス人が特に多かったように思います。
 NZではホステルも同じようにキッチン設備が充実しているのが大助かりで、食事は基本的に近くのスーパーで買い出しをしてキッチンで自炊していました。安く上がり、しかもいろんな人と知り合いになり、旅行情報も得られるとあって一石二鳥で楽しいものでした。キャンプ場で韓国、中国(台湾?)の若者にはしばしば会ったものの、日本人の若者に会うことはほとんどなかったのが残念でした。

 そんなこんなでNZでは、北島は途中、親切なNZ人に100kmほど車に乗せてもらった以外はオークランドから北島の端、ウエリングトンまで600kmほどを縦走し、12月17日に到着しました。翌18日、対岸の南島に渡り、東海岸線を南下し鯨ウオッチングで有名なカイコーラの町でクリスマス、大晦日・正月はクライストチャーチで過ごしました。
 その後は南島の中間部を走り、ミルフォードサウンドに近い観光地で有名なクィーンズタウンに1月15日到着。自転車での総走行距離は1600kmほどになりました。ここで一旦サイクリングを中断し、19日からレンタカーを借りて南端部やダニーデン・オタゴ半島を通って西海岸を走り、1月27日クライストチャーチに戻り2月1日次の訪問地、メルボルンへ向いました。


昼食休憩:自転車を止める場所を捜すのに苦労していました


ずっとこんな道路が続けばいいんですが

<オーストラリア編>
 メルボルンに到着した日は熱風が吹く暑い日だったのと、泊まったホステルがよくなかったこともあり、これまで何度もいい所だと耳にしていたタスマニアへ行くことにしました。
 2月4日、メルボルンからフェリーでタスマニア北部の町、デボンポートに渡り、自転車旅行を再開。東海岸を通って、2月20日州都ホバートに到着しました。そこからバスで北部第2の都市、ローンセストンまで戻り、最後、デボンポートまで自転車で走り、27日の夜行フェリーでメルボルンに戻りました。
 タスマニアでの走行距離は860kmほどになりました。こちらもNZ同様坂の多いところで、アップダウンの連続に音を上げることしばしばでした。東海岸に出るまでサイクリストには一人も会わず、選んだコースが悪いのかな、と寂しい思いをしながら走っていましたが、東海岸に出てからはしばしばサイクリストに出会うようになりました。やはりここでも、ドイツ人、フランス人が多かったように思います。日本人サイクリストはホバートで二人会っただけでした。

 3月1日、メルボルンから西に60kmほどにあるGeelongまで走り(40km弱自転車で走り、交通量が多いので途中で電車に乗り換えました)、そこからアデレードに向って西海岸沿いに延びるグレートオーシャンロードを走り出しました。これまでに出会ったサイクリスト達から「この道路はいいところだ」と聞いていたので、平坦な海に沿って延びる広々とした道路を頭に描いていましたが、アップダウンの多いところでフーフー言いながら走っていました。
 アデレードまでと思って走ったものの結局、アデレード手前600kmほどのポートフェアリという町まで走ったところで走行を断念。そこで折り返しワーナムブールという町まで自転車で戻り、汽車でメルボルンまで引き返しました。
 メルボルンからグレートオーシャンロードを含めたオーストラリア本土での走行距離は470kmになりましたが、自転車走行中サイクリストには誰一人にも出会うことがなかったのは意外でした。本土でのキャンプ場はキッチン設備がないところも多くて、NZでの楽しかったキャンプ生活が懐かしく想い出されました。

 NZ、豪州のタスマニアとグレートオーシャンロードまでは自転車とキャンプ生活だったのが、最後の2週間ほどは旅行で知り合ったオーストラリア人の家にお世話になりっ放しになり、結局、時間がなくなりアデレードへ行くのを断念、汽車でメルボルンに戻ることになってしまいました。
 東日本大震災のことはポートフェアリの知人宅で知りましたが、連日、津波被害と福島原発事故の映像報道が流れていて、スーパーで買い物をしている時や道を歩いている時に日本人と分かると、しばしば慰めの言葉を頂きました。


タスマニアもNZに引けを取らず坂の多いところでした


タスマニア東海岸にて

<参考データ>
[ニュージーランド]
●期間:2010年12月2日~2011年1月31日(62日)
●行程12/1(成田)->12/2(Auckland)->12/6(Raglan)->12/10(National Park)->12/7(Wellington)->12/23(Kaikoura)->12/30(Christchurch)->1/7(Lake Tekapo)->1/12(Wanaka)->1/15(Lake Tekapo)->1/14Queenstown)->1/7(Lake Tekapo)->1/23(Fox Glacier)->1/26(Christchurch)->2/1(Melboune)
●自転車走行コース:北島Aucklandから南島Queenstownまで(北島で途中100kmほど車に乗せてもらいましたが)自転車で走り、腰痛のためQueenstownで自転車走行を断念し、レンタカーを借りて西海岸経由Christchurchまで戻る。
●自転車走行距離:1780km(北島 590km、南島 1190km)

[オーストラリア]
●期間:2011年2月1日~2011年3月23日(51日)
●行程:
2/1(Melbourne)->2/4(タスマニア Devonport)->2/9(Bicheno)->2/15(Port Arthur)->2/20(Hobat)->2/23(Launceston)->2/26(Devonport)->2/28(Melbourne)->3/1(グレートオーシャンロード Geelong)->3/3(Apollo Bay)->3/10(Port Fairy)->3/15(Werribee)->3/23(関空)
●自転車走行コース:
メルボルンからフェリーでタスマニアの北部の町、Devonportに渡り、そこから自転車旅行を再開、東海岸を経由して州都、Hobartまで走った後、バスでLauncestonまで戻り、そこからDevonportまで自転車で戻る。フェリーでメルボルンに渡り、海岸線に沿って延びるグレートオーシャンロード経由アデレードを目指したが、距離にして1/3くらいのPort Fairyでアデレード行きを断念し汽車でメルボルンに戻る。
●自転車走行距離:1330km(タスマニア 860km、グレートオーシャンロード(豪州本土) 470km)

[自転車]
●TREK 7.5FX クロスバイク(夫婦同じ自転車にしました。トラブル発生した時にお互いの自転車を見比べれば原因解明が容易と考え)
●タイヤ、チェーン、ブレーキシュー、スポーク(荷物を多く積むことになる1台のみ、32本に組み替え)のみ改良
●ボトル・ホルダーケースを一つしか自転車フレームに取付けられないので不便(ペットボトルを荷台にくくりつけていた)

[荷物](各一人分)
●サイドバッグ 4個(前輪 X 2、後輪 X 2)
●フロントバッグ 1個
●リュックサック(後輪荷台 テント他嵩張るものを収納)
総重量(二人で80kg~90kg自転車・キャリア・バッグ込み)。他のサイクリストと比べても荷物が多くて、NZで輪行袋、ラジオ等日本に送り返して11kgほど減量した。

[自転車トラブル]
●パンク一度もなし
●ブレーキワイヤが切れかかり、Kaikouraの自転車でワイヤ交換
●チェーンが走行中、2度はずれた

[失敗等]
●両替したNZドル・豪ドルそれぞれ10万円相当、家に置き忘れてしまった。支払いはほとんどクレジットカードで済ますことができたが、中には現金しか使えない時があり、心細い思いをしたこともあった。
●友人等のメールアドレスを控えてくるのを忘れてしまった
●紛失:自転車用ウインドブレーカー、タオル2本、コンタクトレンズケース

2011年5 月26日(木) カテゴリー: 会員活動報告

被災地ボランティア活動(2011/4/30-5/1)

4/30(土)、5/1(日)と自転車バトラー隊隊長の呼び掛けに応じ、4名が東日本大震災被災地ボランティア活動を行いました。
活動拠点は、宮城県内で唯一県外ボランティアを受け入れている「岩沼市災害ボランティアセンター」。土砂などを運び出す一輪車のパンク修理など資材整備を担当することに。岩沼市は小型飛行機が流されている映像で有名となった仙台空港のすぐ近く、海沿いなので津波の被害が甚大でした。

1名は仕事が見つかったものの、残りの3名は次の作業まで数時間がありました。そこで建築士であるメンバー他2名は近くの被災した岩沼教会へ行き、被災した建物の復旧方法のご相談を受けました。岩沼教会は築81年の絵本に出てくるような美しい石造りの教会です。

教会は塔と礼拝堂から成り、損壊が著しいのは塔でした。

この教会は地震の無い国の作り方。石を積んでその間をモルタルで固めたもので、揺すられれば崩れるものだという事、そうならないためには鉄筋を入れたコンクリート壁にする必要がある事、を建築士メンバーは牧師さんに説明していました。

ただし礼拝堂は両壁に梁が渡してあったため、損傷はなく、その梁を下から支えてあげれば問題ないということでした。問題は塔で、美しい現在の外装を保とうとするならば、石の壁は飾りとし、その内側に塔を支える鉄筋コンクリート壁を建て、それに石の1つ1つをアンカーで固定するという方法があるとのことでした。

西洋の重々しい完全な石造りの教会とは異なり、壁や窓枠や床に磨きこまれた黒光りしている木を使っているため、温かみのある素晴らしい教会でした。ぜひ残してもらいたいと願いつつ、美しく、歴史的にも重要な教会を見せて頂いたことにお礼を言ってお別れしました。
ボランティアセンターに戻り、20名程度でグループ分けされてミーティングをし、注意事項を簡単に説明され、リーダーが指名されました。
 マイクロバスで現場へ向かうと、そこは学校や工場や住宅に囲まれた30×30m程度の広さを持つ畑で、後でメンバーの一人が調べたところ、海岸線から直線で2.4km離れていました。
有機野菜を育ててきたその畑は津波と共に流れて来た松の枝、藁、ノイバラと泥が混じった10センチ程度の厚さの泥の層で覆われていました。
私達の作業は、この層を取り除くこと。その後、石灰などでpH調整し、畑として使うそうです。実際の作業は、ゴム手袋で泥や藁の塊を丈夫なゴミ袋に持てる程度の重さまで入れて、袋が幾つか溜まると一輪車で畑の入口に積んでおくというものでした。

50分やって10分休憩、を2度繰り返して終了、という2時間作業を20名程度でおこないましたが、午前にも作業されていたのでほぼ終了し、翌日の午前中にもう一度入れば片付け終わるだろうとの事でした。

もう1名は個人の住宅の敷地内の泥掻きをしました。泥は固まって、男性でも剣スコップという先の尖ったもので無ければ歯が立たなかったそうです。通常のスコップは重いので、特に女性には全く役にたたず、やや小さ目のものを借りてようやく泥をゴミ袋に入れる作業ができたという事でした。40-50枚ほどあったゴミ袋は全て使い切ってしまったので作業終了となったということでした。

仕事をしてセンターに戻ると、高圧洗浄機で長靴を洗い、ゴム手袋やスコップは盥で洗って、終了です。

炊き出し隊がラーメンを振る舞ってくれ、ご馳走にもなりました。
カナダ人の大学教授という小柄な女性も茨城から駆け付けて参加されていました。
宿への帰りがけに、海岸の方へ被災状況を見に行きました。車を走らせてすぐにこれまでの景色は一転し、破壊され尽くした世界が突然目の前に現れました。流されてきた泥が乾いて風に混じり、独特の匂いがし、恐らく田んぼであったであろうそこには、トラックが落ちたままになっており、屋根だけが2軒分流れ着いており、電柱は倒れ、着物が引き出しごと放り出され、道路は崩れたままになっていました。津波の爪痕がそのまま残されており、私達は言葉を失いました。

海岸とほぼ隣接していた住宅地は悲惨でした。家はほぼひっくりかえっており、立っていたとしても壁が丸裸に剥ぎ取られ、家財道具が丸見えになっていました。

その中で神社の社や鳥居だけは不思議とほぼ無傷で立っていました。また近くには遺品だと思われる宝石箱、真珠のブローチ、古い葉書の束、ビデオカメラなどが綺麗に並べられていました。
私達はさらに海に近づき、大半の箇所で津波で壁がえぐり取られた堤防を見ました。堤防は幅10m、高さも同じくらいで、なだらかな山型に作られていたにも関わらずです。場所によって海側がえぐり取られたところもあれば、陸側がえぐり取られたところもありました。こんな巨大なコンクリート構造物が使い物にならなくなるまで破壊されているのを見て、津波の力が想像を超えていたことに気付き、初めて恐怖を感じました。

その後、真っ暗な仙台空港や流された小型飛行機を見つけたりしつつ、宿へ向かいました。
宿の輪王寺に着くと、自転車バトラー隊の小島隊長がミーティング後、私達を待っていて下さり、握手を交わし、『緑の防潮堤』の話しを御住職から聞くと良い、と教えて頂きました。小島さんは別の宿へ戻られました。

翌朝、御住職から300kmの海岸線に沿って地面を掘り起こし、24年分の廃棄物処理量である瓦礫を埋めて土を被せ、それでできた山の側面に木を植える緑の防潮堤のお話を聞きました。コンクリート堤防と違い、水をはじき返すのではなく、吸い上げるので強度があり、植える樹木は松など今回の津波で悉く流された浅根性の樹木は避け、残った深根性かつ潮風に強い樹木を植えて人々の憩いの森にする、という計画です。
これは植物生態学の世界的権威である横浜国立大学名誉教授の宮脇昭氏の提言であり、昨日内閣府に提出したとの事でした。既に荒浜海岸で試験が始まろうとしているとも。希望が持てる話を聞く事ができ、本当に嬉しく思いました。
災害復旧の小さなお手伝いをしつつ、被災状況と立ち上がろうとしている東北の方達の力を感じ、今後もできることをしていきたいと感じつつ仙台を後にしました。

(文責:北林麗子)

被災地体力支援・自転車バトラー隊
http://www.facebook.com/311butler

2011年5 月20日(金) カテゴリー: 会員活動報告

タンデム自転車体験会(2011/5/8)


大阪市内にある「大野川緑陰道」で、大阪視覚障害者の生活を守る会・主催、大阪でタンデム自転車を楽しむ会・協賛による「タンデム自転車体験会」が行なわれました。

深夜に雨が降り、朝方も曇り空でしたが、イベントが始まる前からはどんどんと天気もよくなり、自転車に乗ると汗が出てくるといった状態の中での開催でした。

視覚「障害」のある方20名、ガイドへルパー、ボランティア、家族など約70人が集まり、ここが大阪市内とは考えられないくらい木々の緑がいっぱいあふれた整備されたサイクリング道を利用(片道約2㌔のコース)してのタンデムイベントです。

CVJ関係者は7名がパイロットとして参加し、用意された13台のタンデムの内6台のパイロットを担当し、視覚「障害」をもった方々とサイクリングのひとときを楽しみました。
また、CVJとしては、パイロットとしての役割を果たしただけではなく、「タンデムを楽しむ会」としての挨拶を大島が担当したり、タンデム自転車の整備を友田中心に協力したりもしました。

イベント終了後には、各団体のメンバーが集まって反省会。今後の定例会について、タンデムパイロットの手引き作成のことなどを話し合ったり、主催者側の参加メンバーとの交流を行なうなどして半日を過ごしました。
トップの写真は開会式の様子、下の1枚はサイクリング出発地点でのスナップです。

本イベントが「あおぞら財団」のHPで紹介されています。

大島政廣記

2011年5 月11日(水) カテゴリー: 会員活動報告

2011/2/20久我山青光学園のタンデム自転車体験会

視覚に障害のある小学生から中・高生(盲学校・弱視学級)に自転車に乗る楽しみを知ってもらうイベントが開催されました。
会場: 久我山青光学園校庭 (前久我山盲学校)

主催は、久我盲クラブ(久我山盲学校の在校生・久我山盲学校の卒業生を中心とした余暇活動のクラブ)。

タンデム自転車交流協会(廣田の所属するグループ)として、開催に協力しています。他に竹沢代表と野原がボランティアとして参加しました。

関係者は12時半に集合、簡単に打ち合わせをして1時から活動開始。
児童13名の参加が予定されていましたが、風邪が流行ってしまったらしく、来ることができたのは5名。
主催者の黒田さんの号令で、準備運動。

タンデム自転車に初めて乗る児童が3名いたので、タンデム自転車の構造を触ってもらい、前の人が運転すること、後の人のハンドルは動かないこと、前の人のペダルと後の人のペダルが連動していることを知ってもらいました。

タンデム自転車で、最初の難関は走り出しです。
同乗者は先にペダルに足を乗せてしまうので、自転車を少しでも傾けてしまうと、どんなに力持ちでも支えることはできません。逆に言えば、運転者が自転車を真っすぐに立てておけば、全ての重さは自転車が支えてくれます。そのことに気をつけて、手順を踏めばすぐに走り出すことができます。


校庭で練習したあと、慣れたら学校内の舗装路を速度を上げて走りました。
今回、参加者が少なかったので、保護者の方にもどんどん運転して貰いました。「速い速い」「面白い」「気持ちいい」「楽しい」子供たちに喜んでもらえたようです。

途中休憩の後は、
・ゆっくり走ることの重要性とコツ
・急停車の方法
を教えて、各々練習してもらいました。
この二つを上手くこなすには、同乗者の協力も必要です。
子供たちも自分の役目を理解して、真剣に練習していました。

四時までたっぷり走って解散しました。
なお、久我盲クラブは、再来週の3月6日(日)に東京サイクリング協会のみなさんとパレスサイクリングコースでタンデムサイクリングとのことです。

タンデム自転車交流協会のブログにも記事を載せました。

廣田和彦 記

2011年2 月23日(水) カテゴリー: 会員活動報告

“沖縄一周サイクリング” サポート記

沖縄在住のCVJメンバー中村忍が「ツール・ド・おきなわ2010」のサイクリング部門のイベント
「本島一周サイクリング323km」と「やんばるセンチュリーライド 189km」
をスタッフとして同行サポートしました。
レポートがシクロワイアードにアップされています。

こちらをご覧ください。

2010年12 月3日(金) カテゴリー: 会員活動報告

ウイーン・プラハ・ベルリンの旅

20インチのフォールディングバイクを駆ってウイーンからプラハ経由ベルリンまで走りました。プラハまでは妻と一緒に走り、プラハ以降は一人で走行。幸いに途中で自転車道マップを手に入れることができ、本場ヨーロッパの自転車道を堪能しました。
レポートはこちら

佐々山 厚

2010年11 月16日(火) カテゴリー: 会員活動報告

「第13回武庫川タンデムイベント」開催!(2010/10/31)


40台以上のタンデム自転車と共に

1年半前、兵庫県で公道におけるタンデム自転車が許可される大きな原動力となった「第13回武庫川タンデムイベント」が、今年も武庫川河川敷で開催されました。
1日前に台風14号が通過したばかりで、天候は大いに期待されたのですが、前線通過のため、あいにくの曇り空。

今年は、44名の視覚「障害」の方(もちろんタンデム自転車も44台用意されていました)とボランティア200名、と全体の参加が昨年を大きく上回る規模で実施されました。
CVJからは、5名プラス1名(友田さんの奥さん)が、自転車・タンデムなどで会場入りし、浦川さんは昨年同様タンデム走行の先導係、西川・友田・加藤・大島はパイロットとしてイベントに協力しました。

また、10月3日「大阪でタンデムを楽しむ会」(CVJはじめ5団体で共催)を開催した中心メンバーも来られ、第2回開催(12月12日)の打ち合わせを行なったり、今般「八尾ライオンズクラブ」から「100万円で10台のタンデム自転車を」(窓口は「ライトハウス」で贈呈式は12月24日)という申し出を受け、いくつかのパンフレットを用意し、どの車種を何台、メーカーはどこにするか、また保管場所についてなどを話し合う時間も持ちました。
先日の毎日新聞報道、タンデムイベントの開催、署名運動などが実を結び、こうして今後10台のタンデム自転車が大阪で自由に使えるようになったことで、さらに活動の輪を広げられればと思っております。

イベントは途中から雨模様になり、帰り支度を始める13時過ぎからは本降りになってしまいましたが、今年の小豆島イベントに参加してくださった清生夫妻、新見さんとも再会のひとときを喜んだり、爽やかな風を切るひとときを楽しみました。
 

ハンドサイクル(1台30万円)2台や脊損の方が自前で作られた前部はハンドサイクル(本人用)プラス後部が自転車と連結し2人乗り自転車(約100万円かかったとのこと)など、タンデム以外の自転車もありました。

当日参加したCVJ関西のメンバー(左から友田・浦川・加藤・西川・大島)


西川さん


友田さん


大島


加藤さん

大島 政廣 記

2010年11 月2日(火) カテゴリー: 会員活動報告

大阪タンデム試乗会(2010/9/12) 報告

加藤 吉和 記

日時:2010年9月12日(日)午前11時~午後2時まで
場所:大阪身体障害者スポーツセンター駐車場内(長居公園内)

 当日は、タンデム愛好家の樋本さん(大阪市城東区在住)が2台のタンデム自転車を持ち込んでいただき(この2台は小豆島イベントでも借用)、日本ライトハウスの森田さんと、CVJ関西支部の友田さん、栗山さん、加藤の参加で行いました。

 この日は、視覚「障害」のランナーの伴走者との練習日になっていたので、その方たちに見ていただく、できれば試乗いただく目的で行いました。しかし、諸般の事情で走行はできないことになり、タンデム自転車を見て(触って)いただき、お話を聞くことが主な内容になりました。
多くの視覚「障害」のランナーたちに興味を持っていただき、試乗の機会を欲しておられました。また、トライアスロン挑戦を考えておられる方もおられ、これを使った場合(健常者のパイロットとタンデム)どのように扱われるのか・・・と質問されましたが、こちらは回答に窮したため、今後何らかの機会に確認してみたいと仰っていました。
 会場の長居陸上競技場の場長さんや、身障者スポーツセンターの課長さん、大阪市の公園関係部署の方も見学に来られ、興味を示していただきました。
 毎日新聞の記者が取材に来られ、タンデム自転車が何故公道を走れないのか、走れるようになれば何が変わるのか等を取材して帰られました。この記者は、すでに大島副代表にも取材済みで、この問題に関心を持って行きたいと言っておられました。(9月25日付け毎日新聞夕刊に関連記事掲載)
 猛暑の中、短時間でしたが良い経験ができました。10月3日のタンデムイベントや今後の活動へ私自身の取り組み方も参考になりました。特に樋本さんの心意気や、ライトハウスの活動する側からの考え方に、意識を深められた感があります。
 当日夜は、関西支部の定期ミーティング(樋本さん、森田さんも参加)だったので、久しぶりに歩いてみました。長居公園から谷町7丁目まで15km弱の道のりでしたが、猛暑日のアスファルト道路は難敵で、4時間近くかかってしまいました。その分、生ビールの味は格別でした(ミーティングの1時間も我慢したので)。

以上

2010年10 月31日(日) カテゴリー: 会員活動報告

中国、西安から広州(2010/5/31-7/3)

中国をシルクロードの東の基点、西安から長沙、桂林、広州と走った。
山は緑に覆われ、平野部はくまなく耕されている。都市は猛烈な勢いで道路や高層住宅を建設中。

■秦嶺山脈越え
2010年6月5日に西安を発ち、自転車旅が始まる。
城壁の外に出ると商業地域が続いた後、高層住宅の建設エリアに突入する。26キロ地点でレーサーで走ってきたワイフは来た道を戻っていった。彼女は西安から帰国する。


秦嶺山脈越えはピークが1950メートル(気圧高度計)、西安から1500メートルも上がる。初日だけに辛かった。
ピークから下り、最初の集落、広貨街鎮で投宿。20元(280円)でトイレ・シャワーは共同。
翌日はさらに高い2299メートルの山越え。しかも、雨に降られ、震えながらのダウンヒルとなった。

■漢水をくだる

6月8日、秦嶺山脈を抜け安康で「漢水」にでた。武漢で長江に合流する大河だ。橋はほとんどなく、対岸との往来は渡し船。地形が険しく、道路も意外とアップダウンがある。道路工事区間があり、前日までの雨で路面はどろどろ、粘土状。足を着かぬよう必死でこぐ。車はすれ違いが出来ず、大渋滞。3キロも続いた。あちこちで道路工事区間を通ったが、たいてい5から10キロにわたり工事が行われている。車はその間一方通行のことが多いのでずいぶん待たされることになる。


昼食は食堂で「肉野菜炒」と手帳に書いたものを見せて注文。だからいつも同じ料理。麺の店に入ると肉野菜麺になる。値段は4~5元(55~70円)。


今回、ほとんど国道を走ったが、道幅が広く、路肩がしっかりしているので、車とのすれ違いで怖い思いはしないですんだ。しかし、車は追い越してゆくときにけたたましいクラクションを鳴らしてゆく。

■襄樊
6月12日、石花鎮から襄樊(シャンファン)までの80キロ、国道でなく省道(日本で言えば県道)を走る。道はしっかりしており、両側にはポプラのような高い木が続き、木陰を作っている。


襄樊は城壁が囲む歴史を感じさせる町。中心部には歩行者天国エリアがあり、食事や買い物の若者でにぎわっていた。


80元(1100円)の宿に入る。PCが置いてあり、インタネットにアクセスできる。多くの宿でPCまたはインタネットを利用できた。今回、小型の携帯PCを持参。途中でキーボードがおかしくなったものの、重宝した。但し、メールアクセスが遅かったり、インタネットでページが開かなかったり。

■長江を船で渡る

6月15日、荊州でルートは長江を渡る。長江の河岸に来たが、自動車専用の巨大な橋の他に橋は見当たらない。散々迷って「渡し船」に行き着いた。とうとうと流れる、泥色ににごった長江を5分ほどで渡った。
この辺り、地図を見ると湖水が入り組んでいる。走っていると、水路や湖を見かけた。


巨大都市の長沙で、上島珈琲の看板のある酒店(ホテル)に投宿。ホテルと同じ建物内のレストランで珈琲やビーフステーキにありついた。いつもの夕食に比べ、値段が一桁アップ。
都市では再開発が進行中。広い道路や高層住宅を猛烈な勢いで建設している。バブルではないかと思うほどだ。

■雨中に道を間違える
6月22日、朝から雨。雨具をつけて出発。昼に大きな町で昼食を食べた後、町を出るところで道を間違えた。T字路にぶつかり、右折するべきを左折してしまった。約90万分の一の地図で行動しているので、現在地把握が難しい。


この日泊まった宿は今回の旅で最安の10元(140円)。湯が出ないのでシャワーはあきらめた。宿の主人は店先でカード遊びに興じ、まったく商売っ気なし。

■桂林からり漓江(リコウ)下り

6月24日、桂林に着き、桂林市旅遊局(インフォメーション)で、漓江下りのチケットを購入。中国人用ボート245元(3430円)、英語ボート450元と聞き、中国人ボートを選択。自転車を袋に詰めて船に載せ、船の終着点の陽朔まで、80キロほどを走らずに休息にあてた。
漓江下りは3時間とちょっと。両岸のとんがった山々の間を船が縫って行く。


終着点の陽朔も雰囲気のよい観光地。ユースホステルを見つけて投宿した。といっても、トイレ、シャワーのある個室。ホテルとほとんど変わらなかった。宿のカフェでワインを飲みながら日誌をつける。

■大雨、土砂崩れ

6月28日、大雨の中を出発。街道には登校の小学生が列を成す。


あちこちで土砂崩れにあう。赤土の斜面で雨が降れば流れ出すのだ。道路全幅が泥で埋まっているところにきた。深さが判らないので車が通るのを見てから突破する。踏み出すと意外と泥が深く、抵抗がある。ガードレールにつかまりながらそろそろすすみ何とか足を着かずに脱出成功。
高齢の女性が民族服で水牛を追っている。厚手の黒い膝まであるはっぴのような服。頭にはターバンのようなものを巻いている。観光用でなく伝統を守っている。このエリアは壮(チワン)族、揺(ヤオ)族の自治県なのだ。地形は急傾斜地だが、段々にして田や畑を作っている。

■地図にない新道を走り、ルート変更余儀なく
7月1日、夜中に足のすね筋肉がつり、目が覚めてしまった。塩分不足か。
英徳市を出発し、10キロ地点の分岐で「広州」を選び直進。バイパスだろうと高をくくっていたがとんでもない。どんどん高度を稼ぎ、西のほうにずれてゆく。道路そのものは中央にコンクリートブロックを置いた高規格道路。予定外の「佛岡県」に来てしまった。地図にない新しい道だった。
田舎の村で投宿し、夕食は小さな食堂で回鍋肉と珠江ビール。南に下るに従い、ビールのアルコール濃度が上がってきた。はじめのうち飲んでいた青島ビールは3.1%、しかしこれは4.3%もある。のどごしも当然違う。

■広州到着
7月2日。10時前、25キロ走って広州市の北部の町、花都区に到着。広州空港に近いのでここで終了とする。西安から2544キロを走った。


マクドナルドに入り、コーヒーと鶏肉バーガー、15.5元(217円)。繁盛していて店員も生き生きと働く。客は食べた後、プレートをテーブルに置いたまま店を出る。廃棄ボックスはあるのだが。
目の前は高層住宅。その一角の空き地では新しい建屋を建設中。3台の巨大クレーンが稼動していた。


大きなホテルに投宿。値段は走り出してからの最高額268元(3752円)、快適な部屋だった。
大韓航空に電話し、翌日の便にフライトを変更。これで明日は日本に帰れる。自転車を分解し、袋に詰めた。
夕食はホテル向かいの家族的雰囲気のレストラン。大きくはないが繁盛している。ナス料理とウリと肉の炒め物の2品。ビールも2本。料理は辛くなく、今までの道中の味付けとは違う。旨い。広東料理だとおもう。

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■人々の気質
・食堂などで話をする必要があるときは、自分が日本人で自転車で旅行している、と言う(書いた紙を見せる)と、例外なく興味を示し、質問して来た。道を訊くと面倒がらずに教えてくれた。
・お金をぼられたり、ごまかされたことはほとんどなかった。一度、西安に着いた日のホテルまでの白タク。50元(700円)と約束したが、メーターなら10元足らずの距離だった。それでも降りるとき、50元がなく、100元札を出したら、つりがないという。40元を出すと、それでいいと言ったから、気質がわかる。そこからホテルまでが遠かったのだが。
宿はその多くが宿代のほかに「押金」と呼ぶ預かり金を要求する。でもそれは翌朝必ず戻ってきた。買い物をしても、つりは正確に戻ってきた。

■人々の生活レベル
地方を走ると川で洗濯する光景あり、家々の前に手押しの井戸を見かけることもある。北の地方都市では大八車をよく見かけた。街角で待機し、荷物運びを請け負う商売。そのような生活は50年前の日本の風景と重なる。
一方、進んでいるほうは先進国と変わらぬ生活がある。日本でも高級とされる自動車がたくさん走っている。多くのホテルにはPCが備えられているし携帯電話の普及率もかなりのものだ。

■物の値段
<食料品店で>
・ミネラルウオーター(600ml) 1-1.5元(14-21円)
<食堂で>
・肉野菜炒め 10元(140円)
・麺類 5元(70円)
・ビール(大瓶) 5元(70円)
<ガソリンスタンドの看板>
・ガソリン(1リットル) 6.4元(90円)
<宿代>
・トイレ・シャワーが共同の安宿は一泊10-20元(140-280元)。鍵をかけない部屋にベッドが置かれ、シーツはたまに替えると思われる。身分証の提示も要求されない。
・トイレ・シャワーつきの宿は60元(800円)から。
100元(1400円)で清潔なベッド、洗面所、インタネットアクセス装備の部屋に泊まれた。

■ごみのこと
・地方の町や村では道端にごみが山になって捨てられている。ゴミを片付ける習慣がないかのように。
・食堂で客が食べ残し(肉の骨などのかす)やちり紙を床に捨てる。
・商店の主人が、ゴミを道路に投げ捨てる。
・道路清掃の人がゴミを回収する。

■自転車から見た中国の交通ルール
基本ルールは右側通行、赤はストップ、青はゴー。しかし、応用がある。信号が赤でも右折の車は行ってしまうことが多い。それも、どうどうと。そのとき、人や自転車は待たなければならない。車優先だから、我々は車から目を離すわけにはいかない。
街道を走るとき、車はぎりぎりを抜いてゆくことは少ない。国道など、道幅が広いこともあるだろうが、ヒヤッとすることはなかった。しかし、追い抜くときや注意喚起のためにけたたましくクラクションをならされるのは身がすくむ。ドッキリしてしまう。次第に慣れてきたが。

■装備
・自転車…ドロップハンドル、MTBタイヤ使用の車輪、泥除け、前後キャリヤ。バッグは後にサイドバッグ2個と前にフロントバッグ、いずれもオルトリーブ製。
・荷物…宿どまりで計画したので、キャンプ用品は緊急用にツエルトと軽量シュラフのみを携行。炊事道具は持たず。自転車を含めた総重量は27kgになった(帰りの広州国際空港のチェックインカウンターでの計量)。
・地図…中国製、90万分の1前後の省別地図(4葉)を日本で調達して持参した。
中国製の地図は情報量が乏しい。しかし、省道や国道を走るだけなら道に迷うことはないし、描かれている情報をよくよく見ればいろいろ判る。川の流れや、道の曲がり方で地形を想像したり。しかし、思わぬ山越えがあって苦労することもあった。
現地では西安周辺の等高線つき25万図を入手。走行初日の山越えに役立った。
・中国「元」の調達…往きの成田空港で両替で600元を入手し、後は現地でクレジットカードか銀行カードで「元」を引き出した。「県」や「市」ではクレジットカードで引き出しができるATMを多く見つけられた。

■費用
1.為替レート <単位:円/元>
・7/9の朝日新聞     … 12.99
・5/31成田空港で両替 … 15.16
・6/4 ATM(銀行カード) … 14.00

2.掛かった費用 (円換算)
交通費 102,652-
宿泊費 60,600-
食費 37,508-
雑 36,363-
みやげ他 9,174-
合計 246,297-

3.宿代
最安価格 10元(140円)
最高価格 350元(4900円)(西安のホテル)

佐々山 厚

2010年8 月14日(土) カテゴリー: 会員活動報告

「タンデム自転車と出会う会」 2010/7/25

行きつけの自転車屋のMIXI見ていたら“タンデム”の事が
大島さんに転送すると、ダボハゼの如く食らいつきCVJとして是非我々も参加しませんか?となりました
そして、タンデムを複数台お持ちの我がCVJ友田氏が夫婦で参加してくれました


友田さんとお嫁さん
自転車には関わらないのかと思っていましたが颯爽たるスタイルで参加
お二人さんで2台のタンデムを持ち込み大活躍です
次回楽しみです


CVJ関西支部長として、参加して欲しいと大島さんから要請も有り、私の方は、予定が有り時間的に何時着くかが分からない中、娘ととりあえず参加しました
実質冷やかしだけでしたが・・・・・・


少し遅れて参加したので、正直全容がつかめない状況でしたが
総数 
参加者障害者(視覚・聴覚・盲聾者)30名
健常者40名
ボランティアスタッフ:30名
来賓10名
合計110名

主催: 守口市視覚障害者福祉協会
後援:自転車文化タウンづくりの会・守口市・あおぞら財団
開会の挨拶には代表して衆議院員で国土交通委員会理事をされている竹内譲代議士(公明党)がご挨拶をされました。


この後、シンガーソングライターのイ・ヨンボさんが歌い
タンデムサイクリングのイメージソングを歌ってもらいました
「自転車文化タウンづくりの会」さんの写真お借りします

このような規模は大きくないものの、障害者に対して積極的に何かし続ける運動があることに関心を示しつつも障害者としての数を集めるにあたり、多くの方を集めるのは難しいと考えられるので
よって大々的にするには複数団体が協力し合い進める事の必要性を感じます


さて、タンデム乗車
午後1時から3時までの2時間でタンデム体験

乗車前には、簡単な説明が有り
乗車、当初ぎこちなさが見受けられましたが、次第にスポーツタイプのタンデムに乗りたいとか、積極的な注文も出るようになり、障害者でありながらもスポーツに参加したい気持ちのある方をみると、この様な場は無駄ではないのだと、改めて少し感心。
とは言えそれほど、大変では無いはずが ここ数日の猛暑が我々を疲弊させる状況でした
そのような、酷暑のなかスタッフの方々の麦茶・スポーツドリンク・梅干のサポートごくろうさまです
何もしない私もお茶はお世話になりました


西川にとって久しぶりの再開のGONさん


先日、おんたけウルトラトレイル100キロ
完走者としては色々話を聞きたかったです


樋本さん同様、前回関西CVJ会合に参加された日本ライトハウスの森田有子さんも参加されした
日焼け完全防止対策で、当日の写真は撮れませんでしたが

関西CVJに参加されたときの森田さんの写真
横にいるのは久保さん(お父さんの顔になられました)

さて、酷暑も有り
若干早目に終わりました、あまりの暑さに終われば一目散に帰り始めましたが
慌てて写真を1枚

自転車文化タウンづくりの会さんの写真お借りします→

何のお手伝いもせず
冷やかしだけでしたが、今回のタンデム体験に関わるボランティアスタッフの方ご苦労様でした
我々、CVJの友田夫婦ボランティアご苦労さんでした

また、タルタランドゥ?の中島さんともお会いし、30年前近くに行われた琵琶湖1周サイクルマラソンの苦労話をお聞きすることが出来、楽しいひと時でした
(当時高校生の頃で琵琶湖1周に参加しました)
西川 正樹

2010年7 月30日(金) カテゴリー: 会員活動報告