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	<title>サイクルボランティア・ジャパン</title>
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	<description>自転車は人生を広める！！</description>
	<lastBuildDate>Thu, 29 Jul 2010 06:50:27 +0000</lastBuildDate>
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		<title>「2010　小豆島サイクリング　（’10/5/29-30）」</title>
		<description>
 
 
　08年、09年と2年にわたり開催された「しまなみ海道」イベントに引き続き開催された「小豆島イベント」。参加者58名（うち障がい者21名）が集い、現地でのイベントを盛り上げていただいた方々を含め総勢90名で、晴れて穏やかな気候の中、サイクリングや観光、各種イベントを楽しみました。
 
 


　2010年5月29日（土）
●　バス、フェリーを乗り継いで、いざ小豆島へ
　朝から爽やかな快晴の中、今回のイベントへの期待を胸に、笑顔で続々と参加者が集まりました。参加の子どもたちも元気いっぱいで、お母さん方に見送られてバスに乗り込み。京阪枚方市から阪急茨木市、JR茨木まで、1人の欠席や遅刻もなく、出発しました。
　バスの中では、主催者の竹沢代表より「事故なく楽しいイベントにしましょう」との挨拶があり、企画担当者からのしおり配布、イベント概要説明、参加者による自己紹介へと進んでいきました。参加ボランティアの方からは、ニューヨークでの核兵器をなくす署名活動の報告など、興味深い話を聞きながら、無事姫路港に到着しました。
姫路からの参加者と合流し、11時15分にフェリーに乗船、1時間40分ほどの船旅を各自楽しみました。デッキに出ると、少し風は冷んやりとしましたが、海は穏やかで所々に瀬戸内の小さい島が見渡せ、何とも開放感満点の気持ちよいひと時でした。
客室に戻り、待ちに待ったヒレカツ弁当の昼食。朝早く集まった子どもたちは、競うように食べ始め、またたく間に完食。再びデッキに飛び出したり、窓の外を眺めたり、お腹がふくれて眠くなったのか、少しうとうとしながらと、思い思いに過ごし、程なく小豆島、福田港に到着。
  
フェリーの中でくつろぐ


 
●　寒霞渓（かんかけい）、四方指（しほうざし）の見事な景観を眺める
福田港より日本三大渓谷のひとつ、寒霞渓に向かいました。CVJメンバーの海外自転車旅や参加ボランティアの日本一周マラソンの旅など、このイベントならではの体験談を楽しみながら、どんどん高度を上げ、寒霞渓に到着。例のふるさと創生の際に建てられたという1億円のトイレを見学後、ロープウェイ乗り場へ。間近に見える巨大な岩と緑豊かな景色、そして眼下に広がる瀬戸内海がきれいに見渡せ、一同大満足でした。
さらに、当初は予定していなかった四方指（しほうざし）、標高777メートルに向かいました。ここはまさに名前の通り、本州、四国を眺められる絶景ポイント。「きれい！」、「すごい！」「・・・（声にならない）」。素晴らしい天気、機転を効かせて予定変更した企画担当者、そして細いつづら折りの道を慎重に運転していただいたバスの運転手さんに感謝です。
　四方指からの帰路、ひとつの奇跡が・・・。行きのフェリーの中で飛ばされてしまったCVJメンバーの帽子を何と発見！無事回収しました。これもこのイベントの意義、前途を祝していただいている証拠なのでしょうか。
 




　　　寒霞渓からの眺め




 




 
 

 


 
●　「小豆島わらべ亭」訪問、交流のひととき
　絶景観光を終え、次のイベントの場、オリーブ公園へ。車中では、日頃よりボランティア活動を積極的にされている、ワークきらり、キッズナビ「わかば」のゲストの方々より活動内容のご紹介をいただきました。
　オリーブ公園は、日本でのオリーブ発祥の地を記念した、綺麗に整備され、見晴らしの良い場所です。この公園の野外ステージ辺りで、地元の「小豆島わらべ亭」の子どもたちとの交流のひととき。
　まずは、エアロビ講師のゲストを中心に、トトロ、ポニョのおなじみの曲に乗せて、ダンス。元気一杯の子どもたちをよそに、日頃の運動不足かリズム感のなさか、覚束ないステップの大人もちらほら見られましたが、楽しく体を動かし、一層雰囲気が盛り上がりました。




      音楽に合わせて元気にダンス




  
 

 


 
　続いて、「小豆島わらべ亭」の代表者の方の呼びかけで、2人1組でジャンケン大会。勝った人が負けた人にフェイスペインティング。大人たちにも、「30歳若返りますよー」と呼びかけ、みんな嬉々として挑戦していました。
　竹トンボ作りでは、キッズナビ「わかば」の参加者の指導により、牛乳パックを切り抜いたものに好きなペインティングをして、ストローに取り付け。なかなか羽根の角度付けが難しく、試行錯誤。各々の作品を手に、しばし飛行の共演。
　最後は、地元の子どもたちがあらかじめペイントしたハンカチをつなげたフラッグをバックに、おやつのひと時と記念撮影。盛りだくさんのイベントでした。
 
 
●　「エンジェルロード」散策
　午後5時を過ぎ、恋人たちの人気スポット「エンジェルロード」へ。干潮時間になると、小豆島に近接した3つの島と陸続きになる場所です。参加者は、のんびりと海岸を散策。今日の出来事を振り返るとともに、明日のサイクリングの楽しみを語りながらのひと時を過ごしました。
 
 
●　「大師の宿」到着、夕食、交流会
　本日の宿泊先、「大師の宿」に到着。部屋割にしたがって、本館、別館の各部屋に入り、休憩、入浴を済ませ、午後7時に夕食会場の大広間に集合。夕食は、海の幸を中心に、さぬきうどんなども入った盛りだくさんなご馳走。障がい者の煮魚は骨を丁寧に取っていただくなど、大変細かい心遣いをしていただき、おもてなしの心を感じることができました。
 
   盛りだくさんの夕食
 
 
　まずは、岡田・土庄町長からの歓迎のあいさつ。「共生できる地域を作るのが行政の目標」という言葉が印象的でした。自然と人、若者と老人など、色々な共生が考えられますが、こうした姿勢が小豆島を魅力のある土地としているのでしょうね。
　続いて、小豆島和太鼓サークル「かんだん」の演奏。大小さまざまな太鼓を用いての腹の底に響くような力強い音。時にはコミカルなパフォーマンスを交えながら、
次第に演奏に引き込まれていきました。メンバーは、中学生から52歳までの幅広い年齢層にわたるとのことで、こうした地域にしっかりと生きている伝統文化の大切さを十分に感じることができました。
　小豆島観光案内、参加者のカラオケ、ダンス、ヨーヨー、久しぶりという太鼓の演奏など、夕食を楽しみながらも続々とイベントは続きました。
　そして、地元2組目のゲスト、小豆島音楽グループ「小豆島オリーブサウンドサービス」（SOSS）の登場。本日のイベントを忘れて風呂に入っていたという、ボーカル＆ギター演奏の方は、パワフルな歌声で大いに盛り上げてくれました。披露された「小豆島パラダイス」という曲は、まさに地元愛。参加ゲストとの歌とダンスの即興コラボもなかなかのものでした。
　アコーディオン演奏で歌を楽しんだり、誕生日を迎えた参加者に対し寄せ書きのプレゼントがあったりした後、夕食もあらかた済んだところでお膳を片づけて工作の時間に。
　昼に続き、キッズナビ「わかば」の方の指導により、紙あそび。物語を語りながら紙を折ったり、切ったりして、様々な形への変化を楽しむというもの。少し切り方を間違えただけでも変てこな形になったりして。しかし、それも含めてお互いの作品を比べ合って、笑い合うというのが面白い企画でした。
　枚方自助具工房の方々からは万華鏡製作の指導。子どもたちはもちろん、大人も童心に戻っての製作でした。日頃工作の機会などない人が多く、お互い「あれ？これで良かったっけ？」などと言いながら、この世にひとつの作品を作り上げていくのが、微笑ましい光景でもありました。
　最後に、イベントに大きな貢献をしていただいたゲストの方々への謝辞、竹沢代表からの挨拶で交流会を締めました。
　
●　夜の「参加者交流会」で大いに盛り上がる
　子どもたちは今日の疲れでぐっすりと就寝。ボランティアの中には、そのまま一緒に寝てしまった人もいたようですが・・・
　この後は、お酒を飲みながらの交流会。今日一日無事終わり、皆さんほっとしたリラックスした様子で杯を交わしていました。
 
 
 
 
第2日目　2010年5月30日（日）
●　いよいよメインイベントのサイクリングへ
　前日の疲れも見せず、皆さん元気な顔で朝食をあわただしく済ませ、レンタバイクの石井サイクルに向けて出発。半島1周、約15キロのサイクリングの開始です。
　このサイクリングのために用意した5台のタンデム自転車を先頭に、Aチーム、Bチームの順に出発。タンデム自転車では、視覚障がいの方など、日頃自転車に乗ることのできない方に、自転車で風を切る楽しさを伝えることができることが大きな目的です。拍手を受けながら、皆さん、意気揚々とスタートして行きました。
　この日も快晴で、絶好のサイクリング日和。ペダルを踏む足も快調に、１日目に訪れたエンジェルロードで休憩後、源平合戦で有名な屋島が望める場所まで到着しました。途中の坂では、やや息が上がる人もいましたが、お互いに励まし合いながら、無事到達。
　ここで、なぜかAチームを見失い、Bチームがタンデム自転車の後続についてしまいました。「Aチームはどこへ？」と思い始めたところにAチームが到着。どうやら回り道をしてい
たようで、元の隊列に復活。
　ここからの海を左側に眺め、潮風を感じながらの走行は非常に気持ち良く、鼻歌でも口ずさんでしまいそうなほどでした。やがて、「海がめ産卵の碑」に到着。ここでアクシデント。参加者の子どもが下り坂で転倒し、擦りむいてしまいました。応急措置の後、サイクリングを続行。こういうイベントだからこそ、頑張れたのかもしれません。
　一旦自転車を降りて、海岸を散策。遠くに瀬戸大橋を眺めることができました。海水も綺麗で、太陽の光を受けてキラキラ輝いていたのが印象的でした。
　サイクリングに参加されなかった方のバスからの声援を受けながら、走行を続け、壷井栄の小説「二十四の瞳」で有名な「平和な群像」に到着。さらに、ギネスブック登録の世界一狭い「土渕海峡」を横断。海峡といっても、わずか数メートルの小川にしか見えず、世界一のアイデア賞といったところでしょうか。海峡を通るジェットスキーとカヤックを見送って、元の石井サイクルへ。1人の途中棄権もなく、全員でゴールしました。
 

 タンデム自転車で                      
 
海岸線を快走
 
 
●　「ひまわり福祉会」施設参観、シンパクの木見学
　「ひまわりの家」を訪れ、社会福祉法人「ひまわり福祉会」岡施設長より、お話を聞き、施設の参観をしました。施設に通う知的障がい者の仕事は、オリーブに関わる作業、ソーメン、醤油の箱折り、空き缶の回収、廃油利用の石鹸作りなど。施設の中は清潔に保たれ、施設に通う方への温かい気配りが感じられました。
　施設の庭には、宇宙飛行士若田さんとともに宇宙ステーション「きぼう」で4ヶ月間宇宙遊泳した、ヤマユリのお母さんにあたるという苗が植えられていました。
　施設の隣、宝生院には特別天然記念物で世界一といわれているシンパク（真柏）の木が見られました。幹の周囲は、16.6メートル、樹齢1600年にも及ぶ、見る者を圧倒させるには十分な立派なものでした。
 
 
●　「ふるさと村」でのソーメンの箸分け体験
　「ふるさと村」に移動し、ソーメンの箸分け体験をさせていただきました。1本で4～500メートルも伸びるというソーメンが、伸びるかどうかは塩加減で決まるとのこと。参加者が体験させてもらうと、面白いように伸び、仕込みの大切さを実感しました。体験の後は、ソーメンを堪能。暑い日のサイクリング後でしたので、のど越しの良いソーメンは最高でした。
 
       係の人の指導で箸分け体験


 
●　想い出を胸に帰路へ
　楽しいひと時はあっという間。フェリー乗船を経て帰路へ。お菓子やスポンサーからの寄贈品をかけたクイズ大会で盛り上がり、全員の感想を聞きながらそれぞれの目的地へ。参加者それぞれが思いのたけを元気よく、ユーモラスに語っていただきました。皆さん楽しんでいただいたようで、主催者としても一安心でした。
 
 
●　最後に　
　自転車という手軽な乗り物。普段は移動の手段としか考えていない人も、一緒に少し長い距離をサイクリングしてみると、「風が気持ちいい」とか、「あー、この坂大変だ！」などと、気持ちをストレートに会話していたのが印象的でした。こうした自然と共感できるところが自転車の魅力なのかもしれません。車では、運転手は運転に一生懸命、同乗者は思い思いに携帯を眺めたり、居眠りしたりと、なかなか一体感が生まれるものではありません。思い起こせば、子どものころは、友達と一緒に自転車で色々なところに出かけることが、ワクワクするような楽しみでした。あれも、本能的に仲良くなる手段として使っていたのかもしれません。
　今回のイベントは、大人から子どもまで、初対面の人も含め色々な人が集い、交流するもの。こうしたイベントにサイクリングをするというのは、本当の意味で参加者の気持ちを一つにするのにとても良いことだと改めて感じました。今後も自転車を通じて、あらゆる人に楽しんでもらうという、このようなイベントを続けていきたいと感じました。
 
文責：竹内義晴



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　　開催案内はこちら
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		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/07/04/shoudoshima201005/</link>
			</item>
	<item>
		<title>京都向日町競輪場体験(&#8217;10/6/20)</title>
		<description>


＜　競　輪　場　へ　＞
CVJ関西メンバーの浦川さんは競輪選手歴３０年の超ベテランの経験をもっておられます。
６月２０日（日）、この浦川さんの紹介でCVJ関西地区メンバー浦川、友田、大島の３人（西川さんは当日キャンセル）と友田さんの自転車仲間２人の合計５人が午前９時競輪場選手管理棟・宿舎入口に集合し、競輪場バンク体験をさせていただきました。

＜　ト　ラ　ッ　ク　レ　ー　サ　ー　初　体　験　＞
まず競輪選手の自転車検査場などがある建物で受付を済ませ、初めての経験であるトラックレーサーを借り、建物内で試乗。
２～３歩慎重に踏み出したのですが、すぐ建物の壁が迫り、ブレーキがない、足がかってに前に動くし、これは壁にぶつかってしまうとパニック状態に・・・。
何とかペダルの回転をおさえてセーフ。ともかくゆっくりゆっくりペースで室内を10周ほど練習してから屋外へ。
トラックでは、プロの選手３人が２周ごとに先頭を交替しながらの走行練習、あるいは脚力をつけるために自転車の後ろにロープでタイヤをひっぱって何周も走る姿などを見学。
その内、浦川さんの顔で係りの人から３本ローラーの体験をしてみればとの声がかかり、ローラーの置いてある部屋にトラックレーサーを持ち込み、最初は片手でしっかり手すりを持ちながらの練習。要領を教えてもらうがなかなか手すりの手をハンドルに持ちかえることができなかったのですが、ついには何とか１０秒ほどローラーの上を走れるように・・・。最後は浦川さんに後を支えてもらいながらも１分ほど３本ローラーの上を踏み続けるという経験をさせていただきました。
また、浦川さんのローラーの上で前傾姿勢を保ちながら全速で足を回転させておられる姿は、見ていてほんとうに惚れ惚れとするもので、現役そのままを彷彿させるまさにプロの姿そのものでした。

＜　バ　ン　ク　へ　＞
10時30分から12時30分までの２時間（内、15分程はにわか雨のため休憩）バンクでの実際の走行。
最初は、一番内側の緑のコースで、足慣らしをし、だんだん外側のコースへと移動していきました。
赤く写っているコースのさらに外側の２本の白線で囲まれたみどりの部分が通常競輪の選手たちがレースをするところになるのですが、コーナーの傾斜のきついところを走れるようになるまでは４回ほど傾斜のこわさからくる恐怖で最後まで回りきれず途中で赤い部分に退避するような形でコースアウトしてしまいましたが、浦川さんの「こわがってこぐのをやめさえしなければ、だいじょうぶ」との声かけもあり、気合を入れてこぎ進めると見事クリア。
それからは、快適な走行が続き、白線のさらに外側の傾斜の強い部分にもトライするなどにわか競輪選手さながらの貴重な体験をさせていただきました。
走行後、バンクの最上段の縁をずっと歩いたのですが、最大傾斜が３５度とのこと。「スキーでもこれは上級コースやなあ」と声が上がっていましたが、上から見ると正にすり鉢の中を走ったという実感がずしりとしました。


浦川さん貴重な体験をさせていただきほんとうにありがとうございました。大島政廣。 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/06/24/100620keirin/</link>
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		<title>ヤッタ～！キリマンジャロ登頂＜後編＞</title>
		<description>アフリカ最高峰　ウフル・ピーク（5895m）に立つ！！　その②
2010/5/20　大島政廣

登山第三日目　※（キリマンジャロ５日目）（２月８日）

＜キボハット(4703ｍ)到着＞

3日目の登山を終え、やっと頂上アタックベースとなるキボハット（4703m）に着いたのは14時30分でした。

ここは出発地点の登山ゲート（標高1800ｍ）から延々４２キロもの山道をひたすら歩き続け、標高でいうと約3000ｍ登った地点になります。
　キボハットは、これまでの2つの山小屋と違い、食堂のような共同スペースもなく内部は2段の蚕（カイコ）棚のようなつくりになっており、一人分のスペースは寝袋1枚分が確保されているだけです。つまり横に10人がズラッと並んで寝袋に入って寝るだけといった（上下2段になっているため１つの小屋の定員が２０人ほど）スタイルとなっていました。（登山荷物は枕元とベッドと入口にある空間に分けて置いておく）
　以前、テレビのドキュメンタリーでキリマンジャロ登山の様子を見た時に、この4700ｍ地点のキボハットでは、ほとんどの人が軽重の差はあるものの「高山病」の症状が出て、幾分元気がなく食欲も余り進んでいない様子が放映され、ナレーションでも内臓に負担をかけないよう食事は軽めにした方がいいといったコメントが流されていたところです。
また、食後の睡眠も最初から横になって寝てしまうと意識的でなく睡眠モードの生理的な呼吸に変わり、呼吸・心拍数が共に抑制され、脳への酸素血流が少なくなり、高山病症状を悪化させるので、もたれかかるような状態で少しでも高度順応をはかってから寝るようにした方がいいといったコメントもされていました。
　また、別の登山者の記録を見ると、キボハット（小屋）までもう少しということで安心をしたのか後２０ｍというところから走りはじめ、気がついたら倒れていたという話しもあり、ともかく少ない酸素をどのようにうまく取り込んでいくのかということが登山を続けていくうえで何よりも大切なポイントといえるところです。
以前キナバル (4095ｍ) 登山の時には、途中の食欲もすごく、足の疲れもほとんど感じず、体調がいいものだから急斜面を力まかせにグイグイ踏み込むように登ったため、高度3300ｍのラバンラタ小屋に着いた時には、見事に高山病症状が出て当日のシャワーや食事をする元気も出なくなってしまい、その日深夜からの頂上アタックではかなりしんどい思いをしているので、今回はゆったりした感じ（スワヒリ語で「ポレポレ」）を忘れず、一歩一歩ゆっくりと足を運ぶように気を配りました。
また、登る時はよく言われるのですが「息を吐くこと」を意識した腹式の深い呼吸を心がけるなど精神面で負けないようにすることだけでなく、これまでの山登りの体験をフルに動員してキリマンジャロに立ち向かいました。
最初の2日間は、キリマンジャロに到着するまでの心労と登頂できるのかというプレッシャーが、登山開始後一気にのしかかってしんどい行程を余儀なくされたのですが、この3日目になって気持ちの切りかえがうまくいき精神面でのしんどさも吹っ切れ、登山に集中できるようになり高山病症状もまったく感じることなくここまで到達することができました。
　到着後、ベッドでしばらく休憩した後、サミット（頂上）アタックのため、ヘッドランプや、ありったけの防寒具の用意など準備を整え、早めの夕食をベッドでとり、深夜の出発に備えました。


＜ベッドでの夕食＞


　食事の方も1日目から2日目夕方まで水分・固形物共に体が受けつけないまま登山を強行してきたのですが、本番に向けて気分が大きく高揚していることやこの日お昼に骨付きチキンにかぶりついたりした栄養が確実に体内にエネルギーとして充電されはじめたのか、高度を増すごとに心身共にますます快調となり、夕食ではジュース、スープ、パン、ピーナッツなどおいしくいただくことができました。
同室のメンバーは、この2日間同じ山小屋で顔なじみとなったイラン人のグループが大半を占め、ベッドでしゃがみながら雑談を楽しんだりして交流を深めたりしましたが、午後６時には眠りにつきました。

※登山第四日目　※（キリマンジャロ６日目）（２月９日）
―――　いよいよ念願のサミット（頂上5895m）めざして、ゴールがあるから登り続ける　―――
　正確には、まだ2月8日夜11時にポーターの声で起床しました。５時間ほどでしたが、睡眠はしっかりととることができました。
　洗面、トイレなどをすませ、ベッドでスープ、ビスケットなどの朝食（夜食？）をとり、念願の頂上アタックにむけ、深夜12時ちょうどヘッドランプの明かりを頼りに、両手にストック、デイバッグは急斜面の登りに備えてできるだけ軽くし、不要と思われるものは極力メインザックに入れて鍵をかけ、留守番役のポーターに預けての出発です。
そのため、バッグの持ち物としては左右のリュックポケットにジュースを入れた水筒とお湯を入れたテルモス（小型の魔法瓶）、中には非常食、カメラ、オーバーグローブなど最小限の荷物のみにしぼりました。
　服装は、山頂のマイナス１５度の寒さに備え、極寒用タイツ２枚、登山ズボンその上にレインズボン（さらにその上にオーバーズボンも用意していたのですが、吹雪にはならないということでガイドの指示でキボハットに残しておくことにしました）。上半身は極寒用（マイナス20度仕様）インナー2枚、長袖フリース、セーター、さらにマイナス30度まで使用可のジャンパーをしっかりと着込み、顔は目だし帽の上に耳あてのついた帽子、足元は登山靴の中に登山用の分厚い靴下を２枚重ね履きし、さらに雪・砂対策用のスパッツといった姿でのアタックです。

＜完全装備でのアタック、バックに氷河＞

　同室のイラン人グループは深夜2時出発とのことで、そのまま声をかけることもなく静かに部屋を出ました。このキボハットから山頂までは、ポーターが登ることは許されず、ガイドのソベリンさんと二人だけの行動です。

天候は、山頂アタックを祝福するかのように快晴。
小屋を出ての第一印象は、「星が空から降る」という表現がありますが、これまで世界各国を７０回近く旅してきましたが、これほどまで間近にきれいで大きい星をみたことがないというくらいの満天の星空でした。天の川が星の集まりであるということは知っていますが、ここではその天の川を構成している一つひとつの星までがくっきりと見え、これから目指す1000m上方の山の頂上の稜線まで登ってしまえば手でつかめるのではないかというくらい空に低く大きく一つひとつの星が自己主張しているかのような輝きでした。また、空にこれほど多くの星があったのかというくらいたくさんの星がきらめいていました。
頂上へと続く急斜面では薄い酸素と体力を消耗する苦しい行程を余儀なくされ、どうしてもうつむきがちの姿勢で歩くことになるのですが、時折顔を上げた時に目に入ってくるこのすばらしい星空は道中の苦しさを吹き飛ばす大きな力にもなってくれました。

アタックベースのキボハットまでの行程は比較的ゆるやかな傾斜の登りでしたが、キボハット小屋を出るとすぐ砂礫層が始まり、おまけに進むべき道を見上げると顔を10～30度ではなく60～70度、まさに垂直に近いところに頂上の稜線があるといった感じの急斜面で、両腕に持ったストックは最初の砂礫層ではアリ地獄のようにズルズルと滑り落ちるのを防止するために欠かせないグッズとなりました。　


頂上アタックはこれまでと同様30分歩いて、小休止といったパターンで進んでいったのですが、途中前方を見上げるとはるか上を歩く人のヘッドランプの明かりが蛍（ホタル）が空を舞っているかのように見えたり、真後ろにはちょうど下半分のみの半月が山登りの背中を押してくれるかのように天空を昇っていました。

空に浮かぶ月は1時間に15度ずつ天空に向かって角度を上げていきますが、それと歩調を合わせるかのようなペースで、足元がズルズル滑る道を数時間モクモクと登り続けました。分厚いジャンバーを着ているため、袖をめくって腕時計を見ることができないのですが、振り返って月の昇り具合を見るとだいたいの時間の経過がわかり、またガイドの経験にもとづく勘で休憩の指示を受けつつ頂上に向け歩を進めました。
そして、キリマンジャロの最初のピークでもあり、ここまでくれば一応「キリマンジャロの登頂証明書」をもらえるというギルマンズポイント（5682m）に着いたのはキボハットを出て、ちょうど5時間経った午前5時、真っ暗闇の中での到着となりました。


＜ギルマンズポイント到着＞

でも、真のアフリカ最高峰ウフルピーク（5895m）までは、ここからさらに2時間の行程が必要です。
ここギルマンズポイントまでの道のりは傾斜もきつく、空気の薄い中での５時間の歩行で体力は確かに使ったものの「この日の行程は、とてもしんどいものになる」と自分自身の心の中に強く言い聞かせながら歩いていたこともあり、到着しての感想は「案外あっけなくここまでやって来られたなあ」というのが第一印象でした。
この５時間の行程の中では、しんどさをまぎらすために家族のことや若い頃からのこれまでの人生を振り返ったり、大好きなさだまさし、河島英五、テレサ・テンといった歌手の曲や学生時代によく口ずさんださまざまな歌を頭に思い浮かべたりしながら歩みを続けました。

このギルマンズポイント近辺はあちこち雪化粧をしており、とても驚いたのはリュックのポケットに入れていた水筒が外気温で冷やされ、完全にシャーベット状態になっており、飲もうとしても氷がじゃまをしてジュースがほとんど出てこないことでした。
また、手袋も極寒用の分厚いものを着用して出発したのですが、それでも途中から手がかじかんで冷たくなり１つ手前の休憩ポイントからは手の凍えに耐え切れずリュックからオーバー手袋を取り出し、それをさらにはめてストックを持つというありったけの完全防備のスタイルでの到着となりました。
もちろん標高との関係もあるのですが、深夜の出発時よりも明け方近くの方がさらに気温が下がると聞いていたのですが、正にその通りの実感となりました。
ここではガイドのソベリンさんと二人のショットと1人だけの2枚の記念写真を撮り、小休止をとった後、キリマンジャロの外輪山を回るような形でさらに約2㌔先、標高もここからまだ200ｍ余り登るアフリカ最高地点である「ウフルピーク」（5896ｍ）を目指しました。


＜ガイドのソベリンさんと＞


頂上までの最後のアタックはアイゼンが必要という程ではありませんでしたが雪道や、数十メートルもの高さの氷河に取り囲まれた中を歩くというまさにここまで登ってきたものにしか味わえない特権ともいうべき幻想的な景色の中での登山となりました。
途中、ご来光は6時20分頃でしたが、まばゆい光に感動しつつ昇りくる太陽を背に逆光での写真を撮ったりをしながら、“ゴールがあるからあきらめず登り続ける”というしっかりとした気持ちをもち、一歩一歩とサミットを目ざしました。


＜氷河をバックにご来光＞


一般的にいえば標高6000ｍに近いこの地点では気温マイナス１５度、酸素濃度にいたっては実に平地の25～30パーセントといった世界で、ジッとしていても苦しく、ましてやこの条件のもと登山を続けることはとても過酷なものがあるのですが、どういうわけか頭痛や１～２日目に数え切れないくらいにあった吐き気などといった高山病による症状の苦しさは全くといっていいほどなく、感動の世界にひたりきるような感じのまま淡々と登り続けることができました。
周りを取り囲む荘厳な氷河や日の出の景色、頂上到達間近という喜び、何とも言えない充実感などがきっと高山病症状を吹き飛ばしてしまったのではないかと思っています。
また、健康でいられることへの大きな感謝も感じつつの歩みでもありました。
途中キリマンジャロ山頂を目指すいくつものルートが合流する「ステラポイント」（この地点まで到達すればやはり「キリマンジャロ登頂証明書」が発行してもらえます）を通過し、テレビで紹介されていたメルー山(4566ｍ)も左手奥に放映通りの姿を実際に見ることができ、念願の山頂である「ウフルピーク」には陽も昇りすっかり明るくなった真っ青な空のもと午前7時10分に到達することができました。  


＜ウフルピーク(5895m) 登頂達成＞


これまで多くの山頂で撮った写真は疲れもあり、どことなくしんどさの表情も垣間見えたのですが、ここ「ウフルピーク」での写真は疲れよりも「ヤッター」という感動の方が大きく、心の底から目が笑ったうれしさのいっぱいあふれでる表情でガイドのソベリンが持つカメラの方を見ることができました。
また、後でソベリンさんから凍傷になるから早くかぶるようにと叱られたのですが、目だし帽にヘッドランプをつけた状態では顔が半分隠れてしまうこともあって、それらを脱ぎ捨てヤッケのフードも後ろにやって素顔の登頂記念写真も撮っていただきました。


＜目だし帽をとっての登頂写真＞


そして、再び目だし帽をかぶる頃になってはじめて登頂の実感がだんだんと自分自身のものとなってきたのか自然と感動の涙が数滴あふれでてきました。
しかし、長時間の感傷にひたっている間もなく、ソベ　
リンから下山の声がかかったのですが、それまで登頂の喜びに浮かれていたのと写真を撮ることに気をとられ、ガイドのソベリンさんに感謝のことばを伝えることを忘れていたことに気づき、改めてお礼の意味を込め強くハグを交わし「Thank you」と謝礼を述べ、10分ほどの滞在で頂上を後にしました。
昨年８月に航空券を手配して以降、この2月にいたるまでの約半年間、山岳旅行専門会社の登山説明会に参加（２回）したり、テレビ放映、パソコン、本などでいろいろキリマンジャロの登山情報を収集し準備をしてきましたが、無事こうして登頂することができ、還暦記念にと計画したほんとうにすばらしいやり応えのあるチャレンジを見事、無事達成し、万感の思い出での下山となりました。
頂上を後に、同じルートを戻りましたが、途中ギルマンズポイントには午前8時半に到着。また、登りに5時間かかったキボハットまでは1時間50分で下りきって、10時20分に到着しましたが、砂礫層の砂走りの部分（道のようにわだちになっていないところ）は、ガイドのソベリンさんの腰にラインダンスをするかのようにしっかりと手を回して支え合い、登頂をお互いに祝福しあうかのごとく２人３脚のように体を密着させ、滑るようにして下り降りました。
以前キナバル登山の下りでは、登山靴の中で足が動き、坂を一歩下るごとに親指の先が靴にぶつかるように当たり、下山後に親指の爪が内出血で真っ黒になってしまい（後日、両足とも指の爪が剥がれてしまいました）数日間痛くて歩くのがものすごく辛かったことがあるため、今回は足が靴の中で動くことのないよう靴紐をガッチリと締め足首を固定して下山したため、足の爪を傷めることなく下りきることができました。
「キボハット」に着いてからは、アタック中の10時間余り大小共に行くことがなかったトイレを済ませ、いったん昨晩休んだベッドに戻り、アタック用に分厚く着込んだ服を片づけ、汗で濡れた下着を交換し、10時30分から11時30分まで1時間ベッドで昼寝を交えての休憩をとりました。起床後ベッドで昼食を済ませ12時半に、山中で2泊目を過ごした「ホロンボハット」（3720ｍ）まで下山のため「キボハット」をあとにしました。
　標高差1000ｍ、距離でいえば15キロの道のりを途中２回の休憩をとっただけで、登頂の疲れもさほど感じないまま往路丸１日かけて登った行程を下り、ホロンボハットには15時40分に到着しました。
指示されたロッジに行くと６人部屋で、下から登ってきたスウェーデン人グループ５人（男性１人、女性４人）がすでに入室していました。こちらは登頂を済ませていたことから心軽やかにあいさつをしたのですが、彼・彼女たちは先天的なものなのか、こちら以上に明るく声を返してくれ楽しい国際交流のひとときを過ごすことができました。
夕食はポーターのドゥラさんから「焼き飯」と聞き、大いに期待をしていたのですが、高所（3720m）のため沸騰点が低くうまく炊けないのかごはんに芯があり、また味つけがほとんどなくお米も日本で食べているようなものと違っていたこと。さらにこの日のスープはアフリカ流の味つけなのか、やけに辛くて口に合わないなどちょっとガッカリしたところもあったのですが、日本でも販売されている「ミロ」にお湯と砂糖を入れて飲んだのが一番のご馳走となりました。体が温まり、その甘さは疲れた体に染み入るように入り込み、２杯をじっくりと味わうなどして登頂を祝う夕食を済ませました。そして、19時15分に外に出て雲海に沈むサンセットを見た後、長かった１日を終え、寝袋にもぐりこんで就寝。

※登山第五日目　※（キリマンジャロ７日目）（２月10日）
―――　往復４泊５日、距離にして100キロメートルにも及ぶキリマンジャロ登山の完結　―――
標高3720ｍのホロンボハットでの起床は6時30分。
前日深夜からの登頂そして、キボハット経由ホロンボハットまでの下山という16時間近い山歩きの疲れもあってグッスリと睡眠をとることができました。
ポーターが用意してくれた洗面器に入ったお湯で、顔を洗い・ひげを剃り、さっぱりとした気分で卵焼き・パン・スープなどの朝食を食べ、７時50分出発。登山２日目に丸１日かけて登った標高2727ｍのマンダラハットまでは途中一回の休憩をはさみ10時30分到着。山小屋近くの水場で水筒に水を補給し、日本から持参のお菓子をガイドのソベリンさんと分け合うなどして15分の休憩をとり、最終ゴールである登山口マラングゲート(標高1800m)に向かって出発。
登山第1日目に半日かけて登ったマラングゲートまでは、２時間１５分で約1000mの標高差を下り降り、12時55分長かった４泊５日、距離にして往復100キロにも及ぶ登山行のゴールを迎えました。この日は、ホロンボハットから標高差2000ｍ、距離にして27キロをいっきに下ってきたことになります。登山ズボンにつけていた万歩計を見るとここまでのこの日の歩数が31444歩とカウントされていました。
公園事務所で、ウフルピーク登頂の証である金色ワクで名前、日付、通し番号、年齢、登頂時刻、ガイドを含む３人のサインの入った「登山証明書」を受け取り、念願のキリマンジャロ登山をこうして完結することができました。


＜登頂証明書＞


山頂ではマイナス10度を下回る気温の低い山登りでしたが、高所での紫外線はとても強く、日本から持参した日焼け止めクリームを毎朝つけて歩いたのですが、後ろの首筋は水泡ができるくらいの日焼け、またこれははじめての経験ですが、クリームを塗っていなかった耳は前後共に蛇が脱皮するかのごとく後日、日焼けのため皮が見事にめくれてしまいました。
こうしたことからも、体中のすべてがキリマンジャロ登頂のためにがんばってくれていたのだなあということを実感しました。
登山後のあれこれや町に戻って翌日からは1泊2日で自然サファリの旅に出たのですが、こうしたことについては、別の機会に紹介できればと思っております。
―――　キリマンジャロ登頂記は、これにて完結とさせていただきます―――
 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/05/22/kirimannjer/</link>
			</item>
	<item>
		<title>「奈良サイクルフェスティバル（2010/4/11）」ボランティア参加</title>
		<description>


浦川勝己　記

４月１１日（日）に建都１３００年祭のプレイベントとして会場の中を１日自転車を乗り入れることができる、とあって早朝から自転車好きが大集合。タイムトライアル・タンデムイベント・ジュニア教室など色々な催しがありました。
走行しているところから大極殿が見え、奈良の真ん中に壮大な敷地が残っていたとは。
当日は早朝に小雨はふっていましたが、タンデムパイロットをする頃は快晴でした。

タンデムボランティアとして視覚に障害を持たれている７３歳の男性を担当しました。
１０時から１２時までタンデム走行は当たり前ですが、休憩からトイレまでいっしょに行動の２時間でした。担当した男性は４０代で網膜色素変性症という病気で視野がだんだん狭くなり５０歳の頃には少し明かりがわかるぐらいの視覚になったそうです。視覚がなくなるまでは自転車も乗っていたしこの会場を散歩していたそうです。７３歳ですので安全に走行できるタンデム選び、サドルの高さをセッティングしていざ走行、速く走るのが得意の私がスピードを落として安全走行、１周　１.５㎞のコースを走行中色々な会話をしながら、久しぶりに爽やかな風を切って走り「爽快です」と喜んでいただき、そのことばで参加して良かった・・・。

モラルのある走行で全国の公道で、タンデムが走れる時が早く来ればと思い、つぎは小豆島イベントでタンデムパイロットです。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
いっしょに参加された大島さん、友田さん、スティーブ　早朝よりお疲れ様でした。


友田


大島


浦川 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/05/20/100411nara-cyclefes/</link>
			</item>
	<item>
		<title>CVJメンバー自転車誌に続々登場！</title>
		<description>CVJメンバー自転車誌に続々登場！
 

２０１０年４月に発売された、「サイクルスポーツ５月号」「サイクリングライフ創刊号」に
CVJメンバーが続々と掲載された。



「サイクルスポーツ５月号」には雑誌創刊４０周年企画である特集
『The Distance：世界一周サイクリストの軌跡』に、伝説のサイクリストとして瀬戸圭祐氏、
松葉京三氏の２名が、話題のサイクリストとして埜口保男氏が紹介された。









また、「サイクリングライフ創刊号」には、『自転車通勤人座談会』のメンバーとして
梅村理恵子氏、碓井ルミ子氏が登場。







「サイクリングライフ創刊号」はメンバーの松阪佳彦氏が編集長であり、同じくメンバーの
佐々木みき氏も編集に携わっている。



さらに、オーストラリア人のメンバーであるスティーブ・シール氏（シール・エミコ氏の夫）も
エミコ氏とともにその壮絶な旅を紹介されている。

 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/05/07/cvj_magazine_lineup/</link>
			</item>
	<item>
		<title>「２０１０桃と桜の岡山ラン（’10/4/4）」レポート</title>
		<description>****************************
　　　　開催案内はこちら
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スティーブ撮影

4月4日の「岡山路その２」は、桃を見て、桜をみて、オプションで有森裕子記念館：アニモへ訪問、でした。

昨年は雨のなかを無理やり強行しました（せっかくの準備がパーになるのは偲びがたいのです）。結果、個人的にはたいしたことないのですが、年齢的に雨に当ると厳しい方々に囲まれてのランなので少々反省はしています。

さて、今年は・・・・

前日、竹沢代表・金木さん・友田さん・大島さんの４名が「小豆島ラン」の下見に行かれ、その足で岡山へ。他のメンバーは直接岡山へ。
ランの前日にホテルに泊まり夕食会が開かれました。夕食会は、お酒をたしなまない竹沢代表がおられるので、比較的穏やかに終わりました。


スティーブ撮影

さて、２次会です。金木さん、私に酒を飲ませればうるさいだけのただの酒飲み親父に豹変します、。ところがスティーブ・大島さんなどはマイペース（大島さんすいません、カメラ壊しちゃいました）。一騒ぎしてくたくたになり、ホテルへ。

気が付けば朝です。
金木さんは、既に早くホテルに来られ、お接待の準備万端であります。
（スイマセン　私西川は、今回あまりにも準備不足を痛感しております）
次々に来られる方を迎え、とある場所へ・・・

その場所は、戦前に建てられた、とある邸宅の駐車場でした。
金木さんが我々の為に、わざわざこの由緒有りそうな場所をキープしてくれていました。
さて、そこからランのスタートです。



昨年同様、金木さんの元部下のサポートをしっかり受けて走り始めました（金木さんは、元ファイヤーマン・消防士さんであります）。
サイクルサポート者は３名、車サポート１名、そしてＣＶＪ７名、一般参加は２名です。




こじんまりしたグループなので比較的スムーズな走り出しで川沿いを走り、百間川の説明を受けます。

（旭川の氾濫から岡山城下を守る為、江戸時代初期に岡山藩主池田光政の命により築造された。旭川の東側を大きく迂回させ、干拓地の間を通って児島湾に至っている事や、「百間川」の名の由来は、堤防を含め百間（約180m）あったことによる。 ）
現地で受ける説明は実に気持ちの良いもので、エラク感心し足を進める。

話を聞きながら、足を進め
道中、水路沿いに石の柱が斜め横に２本突き出ています。
これは、水車を留めるためのものです。田植えのシーズンなどではこの水車が一面にならぶようです。



（くだんのの百閒川のこともあり、ここは水位が根本的に低く岡山は江戸期から岡山は水難の繰り返しで又、水の恵みにも沢山満ちたところである）

続いて、アニモ：有森裕子さんの博物館へ
（金木さんが｢有森裕子博物館へ、みなさん行きますか？｣返事があいまいと見た西川がすかさず「行きましょう」）。時間的に早く行ったにもかかわらず、急遽笑顔で迎えてくださり、コーヒーまで出していただきました。（有森お母さんご馳走様でした）
「私ね、烏に焼酎を飲ませたような声しているでしょう」と謙遜されますが、一応西川は、「お母さん、今度烏に焼酎飲ませて調べてみるわ！」と軽くご挨拶。
ここでは書けない実に面白いお母さんでした。



急ぎ足で、少し古い中原橋を越えて玉柏駅へ。今は鉄ちゃんブームですので、岡山サポートの方はわざわざ立ち寄り、
時刻表を見ると、あと４分で電車が来ます（ＧＯＯＤタイミング！）。



ローカルな駅はなんとも言えません、駅前の店はたたんでやっていませんので自動販売機をおいていましたが、売れないのでソレも撤去、また販売機の雨よけテントも破れ、ローカル駅前最高！！気分です

電車が来る方向を間違えて、私まともな写真がありません（誰か下さい）。

さて、次に足を運びましょう。いたるところで桜が満開です。岡山城は人人人なのですが少し離れると、岡山は最高です。わんさか、人がいない。


スティーブ撮影

桜並木の人も離れ離れ、プライバシーが十分に守れる距離が保て、若い二人連れにとっては最高の場所でしょう。
そんな、事はどうでもいいんですが…。それなりの人が、良いです（最高と言っておきましょう）。あるところでは、犬の散歩中に道の真ん中で飼い主が寝ていても問題ないのです（どんなお方か存じませんでした）。
大島さんに、「この自転車の団体はなあに？」「ウォーキングも山歩きも飽きた、次は自転車！！」活発おばさんが登場です。「私今度一緒に走れる？」などと矢継ぎ早に。
金木さんがＣＶＪ名刺を渡しました。来年、金木さんのエスコートで参加されるのを期待しましょう。（おしゃべりおばさんでした）

牟佐大塚古墳、備前国分寺跡、両宮山古墳をサっとみて。

さて、数々の桜並木の後は桃畑です。元来同時期に花開くのですが、今回桃には季節が少し早いそうで三分、四分咲きかな？それでも綺麗なのですが…。
この後、赤色が強くなり、いわゆる桃色の花びらが桃畑一面に咲き乱れるのでしょう。


スティーブ撮影

岡山の、農家の方は大変親切で桃の花の写真を撮っていると、「もっと近づいて撮りなさい、かまわんから」いちいち声をかけてくださり、岡山における我々の印象が変わってゆくのでした。（現在、岡山の印象は金木さんがすべてをになっているのですよ。。。）

さて桃畑の中で、神妙な顔つきで金木さんが落ち着いた趣で喋りだします。
今で言う池田厚子様（今上天皇の姉に当る）を見舞いに昭和天皇・皇后両陛下が岡山の桃畑で会う場所を作られた話です。
金木さんは「碑は少し離れた所にありますが、実際（陛下は）この場所で、お会いになられました」
話に強弱をつけ、なかなかの話振りです。ジーンと来ました。

あのオッサンただの酒飲みオヤジと思いきや、皇族にも明るい桃農家の酒飲み火消しオヤジでありました。

桃畑の道中、小さなお地蔵さんがありまして、見ていますと、この気持ちの良い天気のなかで満開の桜を下にいるだけで、お地蔵様はニコニコされているみたいでした。



この後、お昼ご飯は山陽ふれあい公園（人があふれていない、実に好い！）
金木さんが、色々準備していたのかが分かります。岡山の海の幸がふんだんに入った散らし寿司（岡山名産「まつり寿司」）。岡山名産の黄ニラをふんだんに取り込んだお味噌汁。



ソレと、パン、果物　もう勘弁してくださいと言うまでのお接待振りに、ただただ脱帽です。

2時間近くをつぶして帰路につきます。

天気がいいので、気にもなりません。道中、山陽道取替えの分岐点に立ち寄りました。
（江戸末期、長州藩と幕府の間でろくでもない浪人が岡山城下をうろうろされるのを防止するために作られた）

そんなこんなで、いつの間にやら岡山市内です。
今回は３時近くで終わりましたが、個人的には満足ですね。

皆さん如何でしたでしょうか？

文責　西川
 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/04/17/2010okayama-run/</link>
			</item>
	<item>
		<title>ヤッタ～！　キリマンジャロ登頂</title>
		<description>アフリカ最高峰　ウフル・ピーク（5895m）に立つ！！

2010/4/9　大島政廣


＜キリマンジャロをバックに.＞

※　　は　じ　め　に　※　
若い頃は自転車の旅で、日本全県走破をはじめ、ヨーロッパ横断（ハンガリー～フランス）、アメリカ大陸横断、オーストラリア３回、ニュージーランド、台湾３回、韓国２回、東南アジア、ハワイなどを走り回りました。
　そして、三女が生まれて（1990年）からは、心に期するところがあってマラソンへのチャレンジをはじめ、ハーフはもとより２２回のフルマラソンを体験し、海外でもフルは、ロンドン、アテネ、ゴールドコースト、ポートランド、ホノルル（６回）、ハーフでは、グアム、韓国・慶州、NZ（２回）などでマラソン（いずれもマラソンツアーに参加することなく個人でエントリーし、現地参加をする）を経験してきました。
　しかし、数年前２年ほどの間に相次いで左右両膝の半月板をバレーボールとソフトボールで痛め、それぞれ入院・手術を余儀なくされ、速く走ることがむずかしくなったことから、自分のチャレンジをゆっくりででもできる「山登り」に変え、この間、アジアを中心に各国の最高峰を目指してきました。
「登山」に関しては、学校教員時代、山の好きな同僚などと共に夏の「槍・穂高縦走」「剣岳」「常念・蝶ケ岳」や７～８年前に富士山に登ったことがある程度の素人同然でしたが、まず東アジア最高峰「玉山」（台湾・3952m）からチャレンジをはじめ、韓国最高峰「ハンラ山」（1950m）、次には東南アジア最高峰「キナバル山」（ボルネオ島マレーシア・4095m）、


＜キナバル山頂にて＞

さらに昨年３月には韓国第２の山「智異山」（1915m）と次々仕事の休み（マラソン同様、ツアーでなく、すべて個人旅行）を利用して登頂を果たしてきました。


＜智異山山頂にて＞

　そして、昨年９月還暦を迎えたのを期に「還暦アニバーサリーチャレンジ」として、今回のアフリカ最高峰キリマンジャロ（5895m）登頂に目標を定め、昨年８月には富士山中で２泊して頂上のお鉢（山頂を一周する）巡りをするなど、高所への対応準備をしてきました。


＜富士山山頂にて＞

　また、日常生活においてもゆっくりペースですが、毎日10ｋｍ走ることを目標に体力づくりを心がけ、昨年は年間で3516kmの走行距離を記録しました。

※キリマンジャロへの道※
2010年2月3日　目的地のキリマンジャロは、東アフリカ赤道すぐ南に位置するタンザニアという国にあります。この地域は、「黄熱病」や「マラリア」が未だに存在するということで、入国にあたって強制ではなかったものの日本出国前に「黄熱病の予防接種」を検疫所で済ませ、マラリアに関しては出国１週間前から「予防薬」（週１回の割合で服用）を服むなどして旅に備えました。
そして、登山に一番便利なキリマンジャロ空港に行くためには、ヨーロッパから唯一直行便をもっているKLMオランダ航空が便利ということで、関空からＫＬＭ航空で、まずオランダの首都アムステルダムに行ったのですが、時差(8時間マイナス)の関係で到着が夕方になるため、どうしても１泊しなければなりませんでした。
　空港ですべての荷物を受け取った後、市内までは、電車で移動し、市の中心部にほど近いインターネットで予約した１泊朝食付の安宿に泊まり、近くの小さなスーパーで「アムステルビール」を買い込み、日本から持参のピーナツとおかしをあてに部屋でくつろぎ、翌日のアフリカ行きに備えました。


＜お菓子とビールで＞

　２日目は、宿の食堂が朝８時からということで、朝食をランチボックスにしてもらい７時半に受け取り、部屋で食べた後、８時にチェックアウトし、再び電車に乗って、アムステルダム・スキポール空港に移動（約15ｋｍで車中２０分の旅）し、午前11時05分発のKLM571便でキリマンジャロ空港に向かいました。
　オランダとは時差が２時間あるため、８時間のフライトで21時30分目的地のキリマンジャロ空港に到着。空港では、検疫書類や入国審査などで時間をとられ、機内に預けていた荷物を受け取ったのは夜の10時過ぎになっていました。

※キリマンジャロ１日目※ （2月4日）
空港からは、自分でアレンジする気まま一人旅の始まりです。
空港からキリマンジャロ登山基地の町Moshi（モシ）までは、40km余り。安い路線バスに
乗るには２ｋｍ以上離れた幹線道路まで歩かないといけないのと夜が遅いこと、登山のための荷物が多くあるということで、仕方なくタクシーを利用。
　空港内に張り紙があって協定料金５０USドルとあり、値切ることをあきらめ、モシの町へ。
　モシでは、事前にガイドブックを見て、ここと思う宿の前で下車。幸いシングルで１泊朝食付き12USドル（約1000円）の部屋が空いており、夜11時前のチェックイン。
オランダ同様、シャワー・トイレは共用の宿で、２日間かけてやってきたアフリカの第一夜を、十分お湯の出ないシャワーを浴びた後、マラリヤの蚊を予防するためにベッドの上に蚊帳が吊ってあるのですが、それを降ろして日付けが変わる頃就寝。

※キリマンジャロ２日目※　（2月5日）
　早朝５時には、町にあるモスクのマイクから流されるコーランの音と鶏と犬の鳴き声で、目が覚めました。
部屋が東に面していたため、日の光が部屋に入ってきたので、６時過ぎには部屋から町に出て、日の出の撮影ポイントを探して、記念写真をパチリ。


＜アフリカ初日の夜明け＞

７時に３階の食堂に行き、食パン、ジャム、ホットミルクなどで朝食をすませ、部屋で休憩をした後、明日から予定しているキリマンジャロ登山のためのガイドとポーター探し、モシ市内観光、市場の散策などで１日を過ごしました。
まず、キリマンジャロ登山を取り扱ういくつかの旅行社を回り、登山や登山後に予定している「サファリツアー」の料金などを聞きながら、昼前には旅行社を決め、夕方５時、登山の打ち合わせや装備チェックのため、宿の部屋にガイドに来てもらうことになりました。
日本からの「登山ツアー」の場合、登頂確率を上げるため、高度順応の必要性から途中の山小屋で連泊（合計５泊）するプランが多いようですが、お金の節約と休暇日程の関係でタンザニア政府が決めている最短の４泊５日の日程で登ることにし、860 USドル（内522ドルは公園入山料、山小屋使用料などで、残りの338ドルが専属ガイド・ポーター・クッカー・モシ市内から登山ゲートまでの往復送迎・旅行社の手数料）の支払いでした。
夕方、登山ガイドに、日本からの登山装備のチェックをしてもらったのですが、パーフェクトとのことで一安心し、明日８時半ホテル前出発で登山に臨むことが決まりました。
また、登山前に食べ慣れないアフリカ料理でお腹の調子を悪くしてはいけないと昼は比較的大きなホテルでBBQサンドイッチと水（合計約350円）、夜は町中で中華料理のメニューがあるレストランに行き、焼飯、水、チョコシェイク（合計約300円）を食べるなど食事にも気を配り、明日からの登山に備えました。
　　　　　　　　
　※キリマンジャロ登山概要※　


＜キリマンジャロ登頂コース＞

アフリカ最高峰キリマンジャロ山（5895m）は、とても大きな独立峰で頂上に至るルートは、いくつもあります。
今回、最もポピュラーといわれているマラングルートを選択しましたが、大まかな行程は登山口である標高1800ｍの「マラングゲート」まで、車でモシから約40ｋｍ移動し、ここで入山手続きを行い、頂上まで片道48ｋｍにわたって延々と続くコースを登り、標高約1000ｍごとに設けられている山小屋「マンダラハット」（2727m）、「ホロンボハット」(3720m)、「キボハット」(4703m)の３カ所の山小屋で宿泊しながら、山頂を目指すという行程です。
但し「４泊５日」の行程を選択したため３泊目の「キボハット」は、朝まで寝るのではなく、夜中の11時に起き、深夜12時に出発し、山頂には早朝に着き、登頂後、同じルートをこの「キボハット」まで戻り、ここで昼食後、さらに一つ下の山小屋「ホロンボハット」まで下って宿泊するという高度順応のための余分な宿泊もない強行プランとなっています。
そして、５日目は「ホロンボハット」を出発し、一つ下の山小屋「マンダラハット」を素通りし、登山口の「マラングゲート」まで戻ってくるというのが大まかな行程です。

※登山第一日目※（キリマンジャロ３日目）（2月6日）
―――　片道48キロ、往復100キロにも及ぶ、登山の開始　―――
朝は６時半に起床して、宿でトースト、ジャム、すいか、ミルクなどの朝食をとり、シャワーを浴び登山装備の最終チェックと宿に預ける荷物の整理をし、出発時間まで過ごす。
８時半ちょうど送迎の車が来て一安心（お金は払ってあるものの一抹の不安はありました）。ガイドのソベリンさん・ポーターのドゥラさんとドライバーの４人でモシの町から40キロほど離れたキリマンジャロ登山口「マラングゲート」（標高1800ｍ）に向かったのですが、途中、食料の調達など何カ所か立ち寄り１時間ほどかかって到着。
　この「マラングゲート」には登山者の登録・途中の山小屋の手配・公園管理などの業務を行なうための「公園事務所」があります。


＜公園事務所＞

　西洋人のグループ、韓国人のグループ（日帰りトレッキング）など団体優先のためか書類記入まで30分ほど待たされ、両腕にストックを持ち登山を開始したのはお昼前の11時20分になっていました。

―――　不安・緊張、そしてプレッシャー ―――
　警官のような制服姿の警備員に登山ゲート入口で書類を見せ、ガイドと共に（ポーターは別のルート）樹林帯の中を進みましたが、昨年８月にアフリカまでの航空券を手配してから約半年にも及ぶ準備、出国してからオランダでの宿泊や日本と６時間の時差による疲れ、一昨日キリマンジャロ空港到着してからの宿探し、登山ガイド探しの気苦労など一人旅でここまできた緊張の連続、そして何よりも大きかったのは50ｋｍ先にそびえる山頂まで果たして歩き通せるかといったことがものすごいプレッシャーとしてのしかかり、精神面の疲労はピーク状態でした。
　足は、普段から鍛えているため全く問題なく先に進んで行くのですが、この精神面のプレッシャーが体調にも影響を与え、途中ランチボックスに入った昼食をとったのですが、小さなバナナ１本とバーガーをひとかじりしただけで後は体が全く受けつけずパス。
　その後も足は進むものの飲み物も受けつけなくなり、口にすれば即オェ～いった状態で何度も戻しながらの行程となりました。
　この登山１日目のコースでは、高い樹上に野生のサルやシッポの大きいホワイトアンドブラックカラバス、地面にはカメレオンが這ってるのを見たりしながら、1000ｍほど登った樹林帯がちょうど終わる標高2727ｍのマンダラハット（山小屋）に午後４時前に到着。
　夕食の準備をポーターがしてくれたものの体の方が全く食料・水分を受けつけないため、休養を優先することにし、マットの上に持参した寝袋を敷き、その中に潜り込んでモンモンとした状態で一晩を過ごしました。（帰路、ガイドのセベリンさんから聞いた話ですが、こうした体調のため、この時点でレスキューを呼ぶことも考えておられたそうです）

※登山第二日目※　（キリマンジャロ４日目）（2月7日）
　　　―――　このチャレンジが達成できたら、自分の人生が変わる―――
７時半起床。洗面・ヒゲソリはしたものの、朝食は水分・食料を受けつけずパス。そのため、ギリギリまで休養にあて８時40分スタート。


＜マンダラハット出発＞

食事はとってなかったものの歩く方は全く問題なく、高度をクリアしていきました。
こうして歩を進めるうちに、アフリカの地まで無事にやって来られたことや山登りにチャレンジできる健康への感謝。また、周りの景色を見ながら、休暇とお金を使いここまで来てるんだから次々と現われるすてきな景色を楽しまなくては損といった思い。さらに「歩けなくなった時には這ってでも山頂までたどり着いてやるんだ」という出発前の強い決意などがだんだんと自分の中に頭をもたげてきました。
すると、今自分がチャレンジし、歩いている姿を客観的に見つめられるようになり、気持ちがとても落ち着いてきました。
こうした気持ちの切り替えが、それまでの精神面でのプレッシャーや緊張感を押し返し・打ち破っていったようで、昼食前の休憩時に三角形のパックに入った「パイナップルジュース」を口にした時、それがとてもおいしく、それまで体が全く受けつけなかった水分でしたが、ウソのように体に染み入り、１パックを２回に分け、一気に飲みきることができました。
それまでの行程で歩きながら常に頭にあったのは、この苦しいチャレンジをもし達成し終えたら、これほどの困難は早々あるものでなく、将来多少の苦しいことに遭遇してもへっちゃらという気分で乗り切っていけるだろうし、何より自分自身の人生そのものが変わるだろうなといった思いを感じながらの一歩一歩でした。
このジュースを戻すことなくおいしく飲みきれたことは、体調回復のきっかけとなったようで、一皮むけたように自分自身の中でもじょじょに調子が良くなっていくのを感じられるようになりました。
登山１日目には、道中出会ういろいろな動物や植物をガイドのソベリンさんから教えてもらっても頭に入らなかったのが、花の名前を覚えたり、周りに目を向け歩くことが楽しめるようになったり、声にはださなかったもののこれまでの人生で覚えた歌の数々を次々と口ずさんだりするなど、気分的な余裕も出るようになってきました。


＜休憩時、高山植物と＞

　この日の行程は３０分歩いて小休止（昨日は１時間ごと）をとるといったペースで進み、この日もやはり標高1000mほどを登り、富士山山頂とほぼ同じ3720m地点にあるホロンボハットまでは６時間弱歩き14時30分に到着しました。
この近辺には、巨大なサボテンといったイメージの「ロベリア」という植物が多く自生し、ソベリンさんの勧めでロベリアと共にホロンボハットをバックにスナップ写真を撮っていただき、この日のゴールとなりました。


＜高山植物「ロベリア」の群生＞


＜ホロンボハットをバックに＞


そして、夕食時にはこの日初めての固形物であるクッキーやピーナツをはじめ、スープ、コップ２杯のお湯、ジュース２杯など水分・食事共に通常に摂れるようになり、食事時いっしょになったイランの登山グループとも親しく交流のひとときを持ったり、昨日書けなかった日誌を２日分書くなど、２日目ゴールのホロンボハットにしてやっと登山生活にドップリとつかるような体調になったという実感をもつことができました。

※　登山第三日目　※（キリマンジャロ５日目）（2月8日）
―――　体調回復、登山を楽しみ、自分の過去と向き合うひととき　―――
　ホロンボハットは１つの小屋が定員４人で、他のメンバー（オーストリア人グループ）の起床が６時半だったため、いっしょに目が覚めてしまう。
朝食は、日本から持参した「あさげ」と「ポーリッシュスープ」、食パン２枚、玉子焼きなどしっかり口に運び、完全復調で３日目の朝を迎えることができました。
富士山頂とほぼ同じ標高のため、雲は完全に下にあるのですが、雲間の日の出を楽しんで８時40分出発。ガイドのソブリンさんからは「多くの人が高所のためここで頭痛訴えるのだが、だいじょうぶか」と何度も問いかけられるが全くその兆候はなく３日目の登山開始。


＜ホロンボハット出発＞

この日の行程は６～７時間とのことでしたが、昼食時の長い（15分）休憩を除き、昨日同様ほぼ30分歩き５分休憩というペースで高度を上げて行きました。
　行程は長いものの、途中山頂がゴツゴツした標高5151mのマウェンジ山のすばらしい景色を楽しんだり、昼食の骨付きチキンにかぶりついたり、この意義深いチャレンジに自然と笑顔がこぼれたりするくらいの余裕で足が進みました。
　また、還暦記念のチャレンジということもあり、幼少期・学生時代など、これまでの人生の折々にあった出会いや出来事を次々と走馬灯のごとく、あれこれ心の中に思い浮かべ、それらと対話しつつこの日は歩を進めました。
そして、標高4703ｍの「キボハット」には５時間半かかって14時10分到着。


＜ロベリアとキリマンジャロ＞


＜マウェンジ山をバックに＞


＜キボハットの標高案内板＞

次回は、いよいよマイナス１５度、酸素濃度が地上の25％と言われる5895m山頂アタックについて紹介させていただきます。　　　　
 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/04/10/2010020kilima-njaro/</link>
			</item>
	<item>
		<title>大阪サイクルイベント「高速道路へ集え」（2010/3/14）スタッフレポート</title>
		<description>ボランティアスタッフとして参加したCVJメンバーからの報告です。
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折り返し地点の看板持ちです。　西川　正樹

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大島政廣

大阪サイクルイベントは、第２京阪道路（門真ＪＣＴから枚方東ＪＮＣ）が、３月２０日に開通するのを前に、完成前の高速道路を自転車に開放し、府民にサイクリングを楽しんでもらおうという企画で行なわれました。内容は
  「スポーツ自転車の部」（1500名）　「花博会場」に集合し、約30キロを走る
 　「一般自転車の部」（1000名）　「寝屋川公園」に集合し、、約10キロを走る
  という二つのコース。合計2500名の参加募集に対し、５倍近い約12800名もの応募があったそうです。
   
  ＣＶＪ関西では、このイベントに協力できればということで、以前このＭＬでも紹介したようにメンバー５名プラス知人２名、合計７名でボランティア登録をし、それぞれの分担で協力しました。
  大島と西上（自転車大好きおばさん）は、「寝屋川会場」で、「レンタサイクル係」として協力しました。
  1000人の参加者の内、約９０人のレンタサイクル事前希望者（当日実際貸し出したのは85台）があり、実質私たち２人でこれらの自転車の貸し出しから返却までの業務を滞りなく行い、運営に協力することができました。
 
 すぐ近くの高速道路上では、知事も来られ（実際に、この「一般自転車コース」を走られました）開会式などの華やかなイベントが行なわれたようですが、それらはまったく見ることはできなかったものの、帰ってこられた皆さんの「足がパンパンや」といいながらも満ち足りた笑顔と「ありがとうございました」の声にほんとうにこのイベントに関わることができてよかったとすがすがしい気持ちで会場を後にすることができました。

***************************************

関西支部の加藤です。（少し長いですが・・・報告します）

私は、なみはやドーム（スタート地点の門真ＩＣのすぐ傍）で報道関係受付を行いました。
午前６時集合だったので、５時過ぎに自宅を出ましたが、スポーツ自転車部門に参加すると思われる人達がまだ薄暗い国道を沢山走っていて、各地から１５００台も集まる大きなイベントだなぁと感じました。

受付業務の方は全く暇で、報道各社も橋下知事が寝屋川会場と知ってスタート地点である門真ＩＣ付近には、カメラマンが１人だけになりました。何の取材やら・・・
そこで隣のテントが、競技用車椅子参加者の受付ブースだったので、お手伝いをしました。

競技用車椅子での参加者は２５名、全員車で来るので駐車場も用意して待ち受けましたが、皆さん大きな車で来られて（通常の車椅子と競技用の２台を積んでいるの当たり前か）、重度の方はサポートの方の車もあって・・・４０台分用意した駐車場は満杯・・・乗り降りのことや車のサイズ（フルサイズのハイエースやリンカーンの大型ＲＶなど有って）を考慮していなかったので、反省点だったと思いました。
身障者用のトイレもドーム内にあるのですが、少し遠くて他のイベントとも重なって、ご苦労を掛けてしまいました。しかし、誰も文句を言う人はなく、逆に駐車場整理も車椅子に乗った方がやってく
れたり、みんな笑顔で楽しんで準備をしているのが伝わってきて心を洗われました。

スタート時刻が近づいたので、高速道路上のスタート地点に移動して参加者を見送りました。（どうして入れたかって・・・コネを使って主催者用フリーパスを手に入れました）
高速のＩＣに歩いて進入するのも始めてで、道路上を歩くのも当然始めての体験でした。かなりの距離を早足で歩いてスタート１分前に到着しました（徒歩は自信があります）。

木村副知事のスタートフラッグの合図で、ブロック毎に分かれてスタートです。競輪選手が２台で先導し、最後尾にも１台が付く形で出発していきます。本格的なロードレイサーから折り畳み自転車のスーツ姿まで色々で、１５００台が高速上に並ぶ姿は圧巻でした。長い時間（１分おきに１００台程度）を掛けて、スタートした後に、先ほどまで一緒だった競技用車椅子の方がスタートをしました。この方達の先導及び伴走には、シマノレーシングという大阪の自転車メーカのチームが付きました。
少し時間があったので、皆さんとお話しをすると海外のレースにも参加している方も居て、皆さん、先ほどの競輪選手にはかないませんが、立派な太股をされていました。

ここでハプニングがあって・・・スタート１分前に一人の方がパンクに気付き大騒ぎ・・・
そこからが圧巻で、自転車を端に寄せるとメカニックが一瞬で後輪を外し、何か黄色い小さな板のようなもの何本か差し込んで、チューブを抜き新しいチューブを取り出し差し込んで・・・空気を入れて後輪を戻しチェーンを掛けサドルに跨った瞬間にスタートの合図が出ました・・・その間１分弱・・・凄い（皆さんにはそう思わないかも知れませんが）。私は後輪がパンクと言うだけで、暫くは呆然と空を眺めますが・・・

そして誰もいなくなった高速上で、回収車（ハイエース）とブルーの車体がかっこいいシマノレーシングのテクニカルサポートカーがゆっくりを走り出すのを見送ってなみはやドーム会場に戻りました。
その後も色々な良い体験をしましたが、長くなるので続編として昼休みに書きます。

以上・・・いあやぁ楽しかったぁ～！

＜続編＞
スタート地点で、１５００台のスポーツ部門と２５台の競技用車椅子部門を見送って、後片づけを少し手伝って、中央分離帯を乗り越えて（こんな体験できません）、反対車線をゴール地点に向かって歩いて帰りました。途中ボランティアの方何人かと、雑談をしながらとても楽しく帰りました。（殆どの方が、抽選に外れた自転車好きの方で、ＣＶＪの名刺を配りました）

出口まで来る頃には、最初にスタートした方々が先導の競輪選手を追い越して、帰って来ました・・・「お帰り～お疲れさまぁ～」と声を掛けていると、ドンドン帰ってきてこのままでは、なみはやドームに戻れないと思い、その場を離れました。（皆さん笑顔で、感謝の言葉を返してくれ非常に爽やかな気分になりました）

なみはやドームまで戻って暫くすると、競技用車椅子のトップ選手が帰ってきました。皆さん汗だくで、まずは着替えと普段の車椅子への乗り換え等を段取り良くされ、何か手伝おうかとしましたが、見つめているだけでした。
体温調整が旨く行かない方も居て、着替えは大事な事と教えて貰いました。１０人ほどが一通りの作業を終えて、記念品や完走証を貰って一段落して、駐車場に集まり雑談会が始まりました、私も加えていただき色々な話を聞きました。

トップクラスの人達は顔見知りが多く、再会を楽しみにしていたようで話が弾みました。最初は最近買った用具の話や、今回来ていない人の近況などを話していましたが、私が「今回のコースはどうでした？」と話を振った事から色々と注文が来ました。
まずこのコースは、「車椅子に向いていない。」と言うことでした。理由は、３０ｋｍと言う距離は良いが、前半が全て登りで、後半が全て下りというのは苦しい。競技用車椅子は、ギアが着いていないので登り（高低差１００ｍ）は本当にキツイ、１５ｋｍも続くのは上級者以外はかなりしんどいと思う。とのことでした。
折り返し地点のコースレイアウトも厳しく、速度制限をしないと怖い。また、途中で一般の自転車と一緒になるところで危ない走り方をする人がいて、気になった。
こう言うコースで有れば、「ハンドサイクル」が向いていると思う。と言うことでした。

言われるとおり、全員が戻ってきたのはトップが帰って来てから２時間以上も経っていました。
全員が帰るのを待っていたのですが、遠方から来ている人は、時間の関係で先に帰えらなくてはならず、「申し訳ないが宜しくお伝え下さい。」と、すまなそうに「なみはやドーム」を後にして行かれました。

女性も数人おられ、特に２名は東京から前泊で来ておられ、明日は仕事なので、今夜中に帰ると言っておられました。土日１０００円高速のおかげで、利用者が多く、ＳＡで身障者用スペースが一般車両で埋まっている事も多く、苦労すると仰っていました。
大きな車に競技用と普段使用している２台の車椅子、それに泊まりだったので荷物も多く、２名はそれぞれの車をご自分で運転されていて、大変だなぁと思いました。
でも皆さん明るくて、ＳＡの駐車スペースで揉めたことなんかを笑い話で話され、ここに書けないくらいの、健常者はとても恥ずかしい思いをする逸話を一杯教えて貰い楽しい時間を過ごしました。
ＣＶＪの話をすると皆さん興味を持たれ、ハンドサイクルを是非普及させて欲しいと言われました。「タンデムのハンドサイクルなんか有れば、パイロットで参加しますよ。」と言う方も居て、皆さんがとても前向きで、人生を楽しんでおられると感じました。

今回のイベント参加で感じたことは、また新しい世界を知った事です。以前に車椅子を押して美術館や映画館を案内するボランティアをしていましたが、競技用車椅子の世界と、ほんの少しハンドサイクルのことを知れたのが良かったです。

あと、人脈と言えば一緒に「なみはやドーム」を担当していた大阪府の職員の方が、今年計画されている「大阪シティーマラソン」の担当者の方で、ハンドサイクルの話をしたら、車椅子部門とは別にハンドサイクル部門を検討すると言ってくれました。実現するかどうかは判りませんが、もし実施されると国内初のハンドサイクルが参加できるフルマラソンになりそうです。少し楽しみにしていて下さい。

ひょんな事から、私だけ会場が違って、最初は何となくつまらないなぁと思っていましたが、とても有意義な一日でした。

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浦川　勝己

朝5時30分受付に間に合うよう早朝4時に起き自宅より受付会場まで自転車で15kmの道のりを久しぶりに走り競輪選手時代を思い出し、早朝練習の過酷さを改めて感じました。

CVJの西川さんと走行ボランティアの受付後、競輪選手が30名ほど先導役として参加するため会場に来てるのを見つけ、久しぶりに会う後輩達（弟子も1名）と談話に花が咲きました。
スポーツ自転車コース1500名は8時スタートを待ち遠しいそうに自慢の自転車を誇らしげに持参されていました。
エコ・CO2削減などが追い風になり自転車ブームがきているなと実感致しました。
いよいよ走行ボランティアの出発です。真新しい高速道路を走る爽快さはサイコーです。最初はゆっくり走っていたのですが、やはり・・・元競輪選手の血が騒ぎ気が付けば折り返し地点を1番で通過してました。
私達は、道路上で看板を持ち参加者全員（2500名）が通過するまで約3時間誘導し、そんな私達に参加者から「ありがとう」と声をかけられると寒さも吹っ飛びました。そんな中、橋下知事からも「ご苦労様です。」と声をかけられました。最終走者は車いすの方でした。上り坂はとても辛そうでしたが、回りのサポーターが「もう少しでゴールです。」と声をかけ完走されました。映画の一幕を映るような経験をしつつ、高速道路の爽快さも感じ改めて、自転車の素晴らしさを知ったのでした。
 
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にしうえ

今回の第二京阪全線開通にともない、私も「高速道路を走ろう」イベントに応募したものの、抽選に外れ残念に思っていましたら大島さんからボランティアスタッフにと声をかけていただき、ささやかながらお手伝いしてきました。
レンタサイクルのコーナー担当でしたので、借りて乗っていく人たちを「うらやましーいなあ」と思いつつ送り出しましたが、笑顔で戻って来られる姿を見ると心から「お疲れ様！」「お帰りなさい！」と声をかけたくなりました。
ボランティアもイベントスタッフも初めての体験でしたので、次を次をと考えてすいすいこなされる大島さんにたくさん学ばせて頂きました。

皆さんに、自転車だいすき、と名乗ったものの大勢の本格的な愛好家の方々を大勢見て衝撃も受けましたが「自転車好きならいいですよ」というお声がけや、ご親切に私の自転車のチェックもして頂き、気持ち良く帰路につきました。
ありがとうございました。
***************************************
「ぐうたらボランティスト」西川　正樹

この度、サイクルイベントに参加しないかとのお誘いに生返事で答えたものの、話がずんずん進み朝５時集合との事。
朝が弱い私は、嫌な予感がしたものの、前夜３０数年ぶりに合う同級生と前夜ミニ同窓会、途中で逃げ出したもの、寝たのは１時。やはり、寝坊しました。
起きてみると４時３０分。もう、これは大変！！
自転車に空気を入れて（普段は乗らないので空気が抜けていた）、大急ぎでペダルを回す。

現地到着時間は１時間以上遅れ、小さくなりながらも集合場所へ

浦川氏はちゃんといます。このイベントを紹介した友人も待っていました（やっちゃいました）。
落ち着きなくしていますと、直ちに現地へ出発。

キレイな道はよろしいね、我々ボランティア以外誰もいない道を走ると、気分がいいです。

ところが、普段自転車で走らないので、体が付いて来ない。緩やかな長い坂道は少し負担で、お尻も痛く！（昔と違う自分に違和感と怒りを感じながら）折り返し地点に。

私はこの折り返し地点の看板持ちです。

ニコニコしながらカンバンを持っていればよろしいのでしょうが、黙ってられず、多数の方に「お疲れ様です折り返し地点です、左側へ、頑張って」つまらない冷やかしをしていると、いくらでも、走者が来るので声がかれ始め結構喉に来ました。

そんな事をしながら、走者の波があるのですね。全く走者が来ない時に暇なので、トップの写真を撮ってみたりしました。
グータラボランティの人、ぐうたらボランティストと呼んでやってください。

さて、そんな馬鹿な事をしている中、お客さんから電話があり、ペコペコしながら電を切ると、まん前を、あの橋本知事が通りました。
思わず「頑張ってください」と言います。
が、しかし反応が薄いので、怒鳴るように「（大阪経済の回復のため）頑張れよ！」と、声をかけますと、思わず「ハイッ」と返事をもらい、少々満足！。

そのような中、最終走者が終わり引き返すなか、なんともしがたいですがどうしても遅い方が出てくる。小さな女の子が頑張っている。
何とか完走させてやりたい。
しかし、我々が近づいて「頑張れ頑張れ」とわめきちらした所で、子供は萎縮するでしょうし、何も出来ず少し離れて見守る。

でもね、とにかく時間はかかりましたが、女の子はご両親と完走され、めでたしめでたし。
（自分の娘にもこの体験をさせてやりたかったですよ）

障害者の方の手押し車も遅い方がいました。本人は必死なんですが、早く前には進まない。手だけが動力、大変である。全身汗だく、しかし少しでも上り坂だと直ぐに止まる。

事務局の方が、リタイヤを進めるが、頑張りたいそうで、私が「押そうか」と声をかけると、自分の力でやり通したい旨をつげられ、事務局の方の声をとは、違う行動をとる。
「後もう少しです、頑張りましょう」遅れに遅れましたが、ゴールのチェッカーフラッグ横を彼は無事通り抜けられました。
めでたし

戻る途中でＪＡＣＣ池本氏にも合いまして（元気でした）、子供たちに変り種自転車の試乗コーナー担当をされていました。

何ヤカンヤと遅刻した割りには実に気持ちいのいいボランティアでした。
*************************************** </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/03/25/oosaka-kousoku-event/</link>
			</item>
	<item>
		<title>台湾一周の旅（2009/12/2-18）</title>
		<description>台北から時計回りに台湾を一周した。台湾全土でサイクリングが盛んなことに驚かされた。週末の郊外はサイクリストで賑わう。台湾を一周するサイクリストも多い。


■台北観光
2009年12月2日（水）　往きは妻と一緒に台湾入国。彼女は4泊5日で台北を見物して帰る。
台北では故宮博物院や龍山寺などを見学。台北市街は車が多く、それ以上にバイクがたくさん走っていて圧倒させられる。自転車はほとんど見かけない。
朝食は入り口にドアのない庶民食堂に入る。勤め前の人々が行列して朝食を買ってゆく。小籠包や揚げパンなどに豆乳スープが定番。
台北の西を流れる淡水河に寄ると、川沿いに自転車道が続いていた。これからいろんな所で見ることになる自転車道の始まり。
　　
＜淡水河の自転車道＞

街に戻ると「ジャイアント」の看板を掲げたスポーツ自転車ショップをみつけた。店頭に自転車スタンドを設置して、洗練された店構えだ。

＜自転車ショップ＞

■一周開始
12月5日（土）　台湾一周出発。峠を越えて東海岸に出るルート。
地図は出発前に知人からもらった台湾全体の50万図と、行く先々のコンビニで購入する県別10万図を使用。
サイクリストがどんどん郊外へ走ってゆく。駅らしきところには20人を超える集団が集まっていた。今日は土曜日だからだ。

＜サイクリストが集合＞


＜続々と郊外へ向かうサイクリスト＞
最高点は585メートル。東の海が臨める展望地で多くのサイクリストが休んでいた。

＜ 峠で休憩中の自転車たち＞

豪快に下ると、あっという間に海岸に来た。道路には「自転車」のレーンがあり、自転車も堂々と走れる。

＜ 自転車レーン＞

蘇澳（スーアオ）に来て、蘇澳大飯店に投宿（1000台湾ドル）。走行107km。

12月6日（日）　走り出して、いきなり登り。ぱらぱらとサイクリストが抜いてゆく。同じチームジャージで20人はいるだろうか。老若男女が混じっている。どんどん登って最高点は400メートル。そして、次の村ではゼロメートルに下ってしまう。
昼前に陽が出て暖かくなり、ツクツクホウシが鳴き、アゲハチョウが舞う。半袖姿になった。
昼食に入った食堂で、私と同じく時計回りに一周する香港人のサイクリストカップルに会った。若くてどんどん走る。

＜ 香港カップルと私＞

花蓮（ホワリエン）に来て日本人経営の民宿に投宿。町でコインランドリ、インタネットカフェ、夕食。　走行105km。

12月7日（月）町の食堂で朝食を食べて出発。野菜もちと小籠包。
ここから主要道が山の中に入るので、海沿いの道は交通量がぐっと減る。地形の関係でアップダウンも緩やかになってきた。あちこちで道路の改良工事が行われている。
ずっと海を見ながら走る。夏は海水浴でにぎわいそうだ。
成功（チェンクン）で古びた宿に投宿600台湾ドル。宿のおばあさんが達者に日本語を話す。海鮮料理屋で食べた夕食は注文しすぎて食べきれず。走行118km。

12月8日（火）快晴で気温24℃。初めから半袖、半パンツで走る。道端にはブーゲンビリアが咲き乱れる。人が手をかけなくも元気に咲いている。
金崙（チンルン）で「富の山」と書いてある温泉に到宿、700台湾ドル。日暮れ前に空の池にお湯が入り始めた。温泉をポンプアップしているのだ。半分くらい溜まったところで海水パンツをはいて湯に入る。
ここでは二人のサイクリストと同宿。情報を交換する、というよりこれから先のルートについて教えてもらう。

＜ 金崙温泉の夕食＞

暗くなってからやってきた私と同年配のサイクリストはとても親切で、万一のときにと日本語が話せる友人の携帯電話の番号を教えてくれた。互いに名乗りもしていないのに。閑散とした温泉にサイクリスト3人が集う。　走行88km。

■最南端へ
12月9日（水）　海沿いを走る。浜辺に波が打ち寄せる。
達仁から山越えの道。前方に自転車を押して歩く旅行者がいる。追いついたところで話しをすると62歳の台湾人。この先のルートをアドバイスしてくれる。親切な人が多い。

＜62歳の台湾サイクリスト＞

そのあと、20人を越えるサイクリストとすれちがった。皆、すれ違いざまに「ジャイヨー」と叫んでゆく。 “がんばれー”という意味だ。グループツーリングらしく、荷物は少ない。
標高450メートルの寿峠で国道9号と別れ、県道の199号に入る。より南端に近づくルートだ。とたんにひっそりとした道。交通はまったくといっていいほどない。両側はうっそうとした樹林帯。走って楽しい道だ。
　南端の観光地、墾丁（ケンティン）で泊る。走行96km。

12月10日（木）
海沿いの静かな道を行く。きれいな青い海。静かな漁村。途中、公園のトイレに入ったら掃除したてでとてもきれいだった。感謝。
高雄に近づき、車洪水の中を高雄駅へ向かう。台湾滞在が1週間になり、慣れもでてきて混雑の中でも躊躇しないで走る。バイクはおろか、車でも赤信号で右折してゆくのがいる（台湾は車が右側通行）。目の前をさえぎるように右折されることがよくあった。でも、基本は自分の前方をよく見て走っていればたぶん事故は起きない。

12月11日（金）高雄→台南
台南市内の大通りには黄色に塗られた自転車レーンが設けられている。うらやましい。時々そこに車が停めてあることもあるので油断は出来ないが、堂々と走れるのはありがたい。

＜台南の町並と自転車レーン＞

12月12日（土）　日程に余裕が出たので、山へ向かい、関子嶺温泉を目指す。山の斜面にみかん畑が広がっている。道の勾配の変動が激しいのが辛い。
宿の自分の部屋で温泉に入る。四角いタイル張りの湯船。蛇口をひねると泥水が噴出した。泥湯温泉なのだ。シャワーの湯も泥湯だった。

■歴史を感じる町並み
12月13日（日）　宿を出るとサイクリストがどんどん登ってくる。本当に台湾はサイクリングが盛んだ。純ロードレーサーを始め、MTB、クロスバイク、小径車とバラエティに富んでいる。
地図に“自転車道”と表示されている道がある。走ってみると、普通の道だが大木の並木道になっていて楽しい。ところどころに休憩所があり、自転車スタンドが設置されている。心憎いレイアウトだ。

＜3944trim 自転車道の案内＞


＜どこかほっとする大木の並木道＞


＜サイクリストの休憩所＞

小さな村を通ると、平屋のレンガ造りの家々が目に付く。昔の家なのだ。新しいコンクリート造りの四角い家よりはるかに趣がある。旅人の勝手な感想だが。

12月17日（木）桃園（タオユアン）でサイクリングを終えた。全走行が1100キロあまり。明日はここからタクシーで空港へ行く。

＜雨の通りを眺めながら最後の夕食　桃園の食堂にて＞

■費用
1.為替レート  ＜単位：円/台湾ドル＞
・12/2の新聞発表　…2.68
・12/2に成田空港で台湾ドルに両替　…3.20
・12/4に台北の銀行でATM引出　し…2.84
・12/18に台北の空港で円に戻し　…2.71
日本国内で円から台湾ドルに交換するのは不利。

2.掛かった費用　（円換算）
航空券	44,760-
日本での移動	17,000-
台湾での費用	75,150-
合計	136,900-

3.宿代
最安価格	500台湾ドル（1400円）
最高価格	1680台湾ドル（4700円）
　台北のドミトリーを除きシャワーかバスタブとトイレ付き。
値段の開きに応じて設備の程度も大きく違う。

佐々山　厚 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/03/10/taiwan/</link>
			</item>
	<item>
		<title>2010ニューイヤーズラン「千葉鋸南水仙ロード」(&#8217;10/1/16)</title>
		<description>**************************
　　　　　■開催案内
**************************



５年前には大雪直後の積雪の中で行われた、千葉鋸南水仙ロードでのニューイヤーズランだったが、今年は素晴らしい晴天に恵まれた。
いつものとおり、コース説明や手信号などの注意事項、挨拶と準備体操のあと、ABC３班に別れて金谷港をスタート。
まずはコンビニで昼食を買い込んで、国道１２７号線を東京湾沿いに南下し、保田から房総半島の内陸へと入って行く。



ちょうど水仙まつりの時期に重なって、一般の観光客が多く歩く水仙街道を、ゆっくりと登って行く。斜面に張り付くように水仙が咲いていて気分はウキウキだ。



しかし部分的には急な坂道もあり、無理せずに水仙を楽しみながら押して歩く。


今回は、昔トライアスロンをやっていたという６０代の女性もアルテグラ仕様のロードレーサーで参加。登りでは仲間からエネルギー補給を受ける。


登り坂の踊り場で一休み。そこは富士山を遠望するポイントだが、あいにく西側は薄くぼやけるように霞んでいてその雄姿は拝見できなかった。



そして更に水仙に囲まれた道のアップダウンを繰り返し、佐久間の谷を望む峠の切り通しにたどり着く。



２００８年のニューイヤーズランでもここに来たが、その際撮った写真が
「自転車ツーリングビギナーズ」：八重洲出版、のカラーページ「04」に採用されている思い出の場所だ。

切り通しからは南斜面となり日当たりの良い気持ちのいい下りとなる。
少し下ったところで一面に菜の花が咲いていて一息入れる。さすがは南房総、暖かい土地柄だ。


筆者はここでこの写真を撮るためにアングルを求めてどんどんと後ずさりして行ったが、その挙句に深さ１ｍ強の排水溝に落ちてしまった。臀部から背中一面が泥水に浸かってしまい、ドボドボでブルブルに・・・・
同行の方々にタオルを貸して頂いたものの、その後１日中、背面は濡れたままで冷たく不快な思いをする羽目になってしまった・・・・


今回のランには韓国MBCテレビの取材クルーが同行した。韓国で２月中旬の１時間番組で報道されるようだが、（CVJの活動もかなり紹介される予定）残念ながら日本での放送予定は無いとのことだ。


撮影はワゴン車の天井から、横側から、更には下からのアングルでアグレッシブに行われ、撮られる方も思わず緊張だ。



更に峠を越えると佐久間ダム湖である。そこの親水公園で今朝の集合場所を間違えたK氏と合流。K氏は相変わらず何事もなかったように、まるで仙人のように違和感なく溶け込んでしまう。




ここからが本日最大の登りとなる。昼食前ですきっ腹には厳しい登りかもしれないが、斜面に咲き乱れるDaffodil（水仙）の群生に勇気付けられる。





峠の先にある「おおくずれ水仙郷」でランチタイム。山の上にあるにもかかわらず、魚をたくさん天陽干しして、その場で炭火で焼いて食べることができる。




この休憩時間を利用して韓国MBCテレビのインタビューが行われた。
世界一周経験者のN氏や、女性サイクリストのUさん、排水溝に落ちたS氏がインタビューを受けていた。


昼食後はゴールに向けて下りとのアナウンスがあったが、いきなりのハードな登りとなる。
押して登る人、TVカメラに追い立てられて登る人など様々だ。



そこからは本日で一番長い下りである。が、そこでアクシデント発生。
ロードレーサーに乗った６０代の女性がカーヴを曲がり切れず山の斜面に激突し、そのままアスファルトに倒れてしまった。
参加者に医療従事者が居て、彼女が応急対処を施し救急車を呼ぶ。スタッフが同行して病院に行くが打撲以外の異常はなく、その日の内にCVJにて東京まで送り自ら輪行して帰宅された。（ちなみに治療費他は参加費に含まれる保険でカバーされます）


救急車を見送った後は東京湾までの下りっと思っていたが途中に峠があり、またその先にも峠でちょっとお疲れ。


無事シーサイドに下りつき、西日がまぶしい東京湾に浮かぶ貨物船を横目に、ゴール地点の金谷港を目指す。


金谷港で記念撮影を行い、満喫したランを終えた。

文責：瀬戸圭祐

 </description>
		<link>http://www.cvjapan.org/w/2010/01/23/2010newyearrun-report/</link>
			</item>
</channel>
</rss>
